「あとから来る若者が、
自分よりいい生活でなかったら恥と思え」盛田昭夫さんの一喝
話は、私がソニー・アメリカへ異動することになった1964年にさかのぼる。念願の海外生活がはじまる、と胸躍らせて渡米すると、先輩社員がこんなことを言った。
「最近の若い連中は、アメリカに来るとすぐ車を買い、日本から家族を呼び寄せる。俺たちの頃は車なんて10年は持てなかった。家族を呼ぶまで何年もかかった。いまの連中は贅沢だ」
後日、そのことを伝え聞いた盛田さんは先輩を一喝した。
「あとから来る若者が、君たちよりいい生活ができなければ恥と思え。我々は次の世代がいい生活を送るために苦労しているんだぞ!」
井深さんと盛田さんは戦争を経験し、日本が焦土と化すのを目の当たりにした。二人にとってモノづくりの原点は「この焼け野原から立ち直って、若い人たちに豊かな世界を渡したい」というものだった。
時に「お国のため」という言い方もあったので、国粋主義だと受け取る人もいた。盛田さんたちが言う「国」とは、日本政府や省庁のことではない。子ども、女性、老人が暮らす日本全体を意味していた。自分たちが働いて得たものは、次の世代がもっと大きくして、また次の世代へと手渡していく。日本の豊かさが増す未来のために、自分たちは働いている、というのが盛田さんたちの信念だった。
だから、盛田さんたちに、個人的にお金を稼いで贅沢したいという欲はない。盛田さんは国際人らしく陽気にふるまい、ビジネスに必要なら大きな出費も厭わなかった一方で、個人としては派手な社交を好まなかった。
私が「高齢者も働くべきだ」と主張し、高齢者のための人材紹介会社をつくりたいと思ったのは、盛田さんの言葉からも影響を受けている。
現役時代にバリバリ働くのは、子や孫の世代によりよい社会を残したいから。しかし高齢者となり、ビジネスの最前線で働くことが難しくなったら、今度は最前線で頑張っている現役世代をサポートする側にまわる。こうして社会は循環していく。盛田さんの言葉はいまも私が働くモチベーションになっている。








