多様性はユートピアではなく
「かなりしんどい状況」
多様な世界では、何かであることでは居場所が確保できません。「旧家の出です」と胸を張っても、「はぁ」と言われて終わりかもしれませんし、硬直した価値観の持ち主だと反感を持たれるかもしれません。
これは逆に、「旧家の出ではありません」と言ってもみんなに見下されるわけではないことも意味しますから、悪いことではないと思うんです。でも、根源的な欲求である「居場所の確保」のためにはかなり頭を使って自覚的に何かを成す必要があり、かつ価値観がばらけているがゆえに何かを成し(何者かになると言い換えてもいいです)ても、みんなに褒められるわけではありません。
『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』(岡嶋裕史、光文社新書、光文社)
そう、多様性はユートピアではなく、かなりしんどい状況だと思うんです。
たとえば、自分の変わった嗜好を受け入れてもらえる可能性は昔より高まりました。でも、それ以上に他人の変わった嗜好が視界に入って嫌だなと思ったり、苦しんだりすることのほうが多いでしょう。「いいこと」をしても、多くの人に褒めてもらえるような社会構造ではありません。
でも、多様性ってもともとそういうものだと思います。Xのせいでそうなっているわけではなく、もともとそういう構造です。ユートピアより地獄への距離のほうが近いかもしれません。
人には好き嫌いがあって当然ですから、「みんなが違うこと」を許容するなら、気の合う奴よりは嫌な奴の数が多くなるのはことの道理です。ユートピアを本当に信じていたにせよ、状況に流されたにせよ、「みんな違ってみんないい」への期待値が高すぎたのが、第一の誤算です。







