北大路欣也・俳優北大路欣也氏 Photo by T.H.

少年時代の決断
父・市川右太衛門への直談判

北大路 そもそも、私の俳優人生の第一歩は、12歳の時に撮影した映画「父子鷹(おやこだか)」でした。実は当初、父(市川右太衛門)は私を俳優にするつもりは全くありませんでした。

 しかし、「父子鷹」のプロデューサーのマキノ光雄さんと監督の松田定次さんがわざわざ自宅にいらしてくださった。突然父から「顔を洗って着替えてこい」と言われて、ふたりの前にちょこんと座らされ、目の前に台本があった時の驚きは今でも覚えています。

「麟太郎(勝海舟)の役は君がやるんだ」とマキノさんが熱心に話してくださった。両親を見たら黙っているので、すぐには返事ができなくて「ちょっと待ってください」と言って、10日ほど待ってもらいました。

 少年時代から紙芝居や映画で「鞍馬天狗」や「丹下左膳」を見たり、ラジオで「笛吹童子」を聞いたりとお芝居の世界が大好きでしたから、どこかにその血が流れていたのだと思います。10日目に、すーっと父の前に歩み出て、「やらせてください」と自分で言いました。

 父は「やるのか?」と驚いていましたが、言ってしまった以上はやるしかない。そこから私の俳優人生が始まりました。

 何の経験もない私に、マキノさんは原健策さんという大先輩を1カ月間、先生としてつけてくださいました。浴衣の着方から歩き方、座り方、台本の読み方まで、それこそ手取り足取り教えていただきました。今思えば、本当に贅沢な環境で育てていただいたと思います。

20回NGを出した私を救った
「魔法の言葉」

北大路 しかし、それほどの準備をしても、現場ではうまくいかないことばかりでした。あるシーンで、どうしても泣けず、20回くらいNGを出してしまったことがありました。

 その時、母親役の長谷川裕見子さんが、セットの隅に私を呼んで、こうおっしゃいました。「今まで言われたことは、全部忘れていいの」と。

「全部忘れて、次は私の目を見るのよ。私の言葉を聞くのよ。分かった?」と。

 それまでは、「ああしなきゃ、こうしなきゃ」と頭でっかちになって、相手のことを見ていなかったのです。それを裕見子さんは見抜いていました。

 言われた通り、裕見子さんの目だけを見て、言葉を聞きました。すると、裕見子さんの目から涙がボロボロっとこぼれて、その言葉が私の心にスッと入ってきました。その言葉は子どもを癒す言葉で、気づけば私も一緒に泣いていました。監督から「OK!」の声がかかった時、何かが解き放たれたような気がしました。

「人をよく見なさい」は
「人生の第一歩」

北大路 あの時、私は技術や段取りにとらわれて、目の前の相手を見失っていたのです。裕見子さんが教えてくださった「人をよく見なさい」「人の言うことをよく聞きなさい」、そして「それをどう思うか、自分で考えなさい」という教え。

 これは演技だけの話ではありません。「人生の第一歩」だと思っています。もしあの日、あの指導がなくて涙が出なかったら、私は俳優を辞めていたかもしれません。それくらい大きな、運命的な瞬間でした。