労働層vs富裕層
サッカーが写す階級闘争

 ボカ・ジュニアーズは、ブエノスアイレスの港湾地区ラ・ボカを拠点とするクラブだ。高級住宅街のレコレータ地区や金融街のプエルト・マデロから車で20~30分という立地だが、高層ビルや瀟洒な住宅が並ぶ中心部とは、街の雰囲気が全く異なる。

 ラ・ボカは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イタリアやスペインからの移民が押し寄せた地区である。彼らは港湾労働者として働き、カラフルなトタン屋根の家に身を寄せ合って暮らした。貧しく、時には差別されながら生きた、肉体労働者の街として発展してきた。

 ボカ・ジュニアーズは、そんな労働者階級の誇りを背負ったクラブとして1905年に誕生した。青と黄色のユニフォームは、港に入ってきたスウェーデン船の船旗に由来するといわれている。彼らのホームスタジアム「ラ・ボンボネーラ(チョコレート箱)」は、収容人数こそ5万7000人程度だが、スタンドの傾斜が急で、サポーターの熱気がピッチに降り注ぐ独特の雰囲気で知られている。

 一方、リーベル・プレートは「ロス・ミジョナリオス(大金持ちたち)」と呼ばれる。

 この愛称が定着したのは、30年代のこと。当時、リーベルは有力な選手たちを潤沢な資金で集めた。リーベル・プレートが最初に「ミジョナリオス(大金持ち)」と呼ばれるようになったのは、このスタイルが理由だった。

 加えて、リーベル・プレートのホームスタジアムの移転が、金持ちのイメージを加速させた。興味深いのは、リーベル・プレートもまた01年の創設当初はラ・ボカ地区にあったという事実だ。20年代半ばに高級住宅街レコレータへ移転し、38年にはブエノスアイレス北部の裕福な地区ヌニェスに本拠地を構え、南米最大のスタジアム、エル・モヌメンタルを建設した。

 この移転が、「ロス・ミジョナリオス」というイメージをさらに強固なものにし、決定的な階級対立の象徴となった。 ボカ・ジュニアーズのサポーターたちにとって、労働者の街を捨てて金持ちの街に移ったリーベル・プレートは「裏切り者」になったのだ。

 対するリーベル・プレートのサポーターは、ボカ・ジュニアーズを「野蛮」だと見下す。「粗暴で秩序を乱す者たち」だと。

 ボカ・ジュニアーズを応援することは、労働者階級の誇りを守ることであり、リーベル・プレートを応援することは、成功と洗練を体現すること。どちらのクラブを支持するかは、単なる好みではなく、自らがどの階級に属し、どんな価値観を持っているかの表明に近しい。

 そうした怒りと軽蔑が両クラブのダービーマッチの背景に敷かれており、両者の対立はサッカーの枠を超えたアルゼンチン社会の写し絵ようなものとなっている。

 例えば、低所得者が住むエリアに本拠を構えるボカ・ジュニアーズのサポーター層は、伝統的に左派勢力、特にペロン主義と親和性が高い。労働者の権利、社会福祉の充実、富の再分配。ペロンが掲げた理想は、同クラブを応援する人々の価値観と共鳴しやすい。

 一方、リーベル・プレートのサポーター層には、中流階級から富裕層が多く、市場経済や個人の努力を重視する傾向が強い。緊縮財政を掲げる現ミレイ大統領の支持基盤とも、一定の重なりがあると指摘されている。

 もちろん、全てのボカ・ジュニアーズのサポーターが左派で、全てのリーベル・プレートのサポーターが右派というわけではないが、そうした階級意識がサッカー熱と絡むことで、時に衝突と悲劇につながってしまう。 例えば、68年には「12番ゲートの悲劇」として今でもアルゼンチン国内に記憶されている悲劇が起こった。エル・モヌメンタルで行われたリーベル・プレート対ボカ・ジュニアーズのスーペルクラシコ後、12番ゲートで両クラブのサポーターが衝突し、71人以上のボカ・ジュニアーズのサポーターが死亡したのである。

 こうした暴力の歴史を経て、アルゼンチンでは2013年から国内リーグでアウェーサポーターの入場が全面的に禁止されている。しかし、暴力を生んだ対立の構造そのものは、今も変わっていない。

 リーベル・プレートとボカ・ジュニアーズ。労働者と富裕層。左派と右派。この構図は、アルゼンチンを代表する2人の英雄への評価にも表れていた。

マラドーナvsメッシ
アルゼンチンで人気なのはどっち?

 ある日、ブエノスアイレス市内の学校を訪れた。

「Lenguas Vivas(生きた言語)」を冠する外国語学校で、日本語を専攻する学生たちの授業に同席させてもらい、そこで幾つか質問する機会を得た。

 教室には22人のアルゼンチン人学生がいて、年齢は10代後半から50代までまばら。多くが日本のアニメや文化に興味を持って日本語を学んでいた。

 授業中、学生たちを前に幾つか質問した。最も教室が盛り上がったのは、「マラドーナとメッシについてどう思うか」という質問だった。どちらもアルゼンチン人は大好きだと筆者は思っていた。何せ、マラドーナは1986年のメキシコW杯でアルゼンチンを優勝に導いた伝説的な選手であり、片やメッシは2022年カタールW杯で、1986年以来の優勝をもたらした史上最高のサッカー選手の一人だ。2人ともアルゼンチンが世界に誇るヒーローであり、国民的英雄だろうと考えていた。

 ところが、予想は裏切られた。

「マラドーナが好きな人?」

 そう尋ねると、手を挙げたのは半分程度だった。22人中、10人ほど。教室の空気が、少し緊張した。手を挙げなかった学生たちの中には、苦笑いをしたり、明らかに不快そうな表情を浮かべたりしている者もいた。

「メッシが好きな人?」

 今度は、ほぼ全員の手がちゅうちょなく上がった。マラドーナとメッシ。同じアルゼンチンの英雄でありながら、評価は驚くほど異なっていた。

 授業後、何人かの学生に話を聞いた。マラドーナを好きだと答えた中年の学生は、熱狂的だった。

「マラドーナは神だ。彼がいなければ、アルゼンチンは1986年のワールドカップで優勝できなかった。彼は貧しい家庭の出身で、苦労して這い上がってきた。サッカー選手としてだけではなく、生き方を尊敬している」

 一方、マラドーナを好きではないと答えた若者の言葉は冷ややかだった。

「才能はあったけど、プロフェッショナルじゃない。薬物問題、暴言、スキャンダル。教育に悪いと思っている」

 メッシについては、全員が一様に好意的だった。しかし、その好意の質が違っていた。

「メッシは素晴らしい選手。礼儀正しいし、スキャンダルもない尊敬できる人物」

 そう語る学生たちの表情には、確かに好意があった。しかし、マラドーナを語るときの学生たちが見せた「熱狂」はなかった。メッシは誰からも嫌われない。しかし、サッカーを超えた社会的な存在ではないように感じた。

 マラドーナは熱狂的に愛される一方で、激しく嫌われる。メッシが万人に好かれるが、「神」とあがめられるほどの熱狂は感じない。 この違いは、どこから来るのか。それは、2人の生い立ちと、彼らが象徴するものの違いにあるように思う。

 マラドーナは1960年、ブエノスアイレス郊外のビジャ・フィオリトという貧困地区で生まれた。家にはまともなトイレもなく、未舗装の道路に囲まれた貧しい環境で育った。

 アルゼンチンではボカ・ジュニアーズに在籍し、労働者階級の英雄となった。彼のプレーは、貧困から這い上がる者たちの希望の象徴だった。

 一方、メッシは1987年、ロサリオという都市の中産階級の家庭に生まれた。決して裕福ではなかったが、極貧でもなかった。13歳でスペイン・バルセロナに渡り、その後の人生は欧州で過ごした。スペインに渡る前は、メッシ自身がファンと公言しているリーベル・プレートのトライアルを受けて落選している。

 マラドーナは、ボカ・ジュニアーズの象徴だった。貧困、苦闘、反逆。彼の生き方そのものが、労働者階級の価値観と重なっていた。メッシはロサリオ出身だが、アルゼンチンのクラブでプロになったわけではない。

 また、マラドーナは政治的にも過激だった。左派的で、反米的で、キューバの元国家評議会議長(元首)のフィデル・カストロやベネズエラ元大統領のウゴ・チャベスと親交があった。薬物問題を抱え、暴言を吐き、スキャンダルを起こし続けた。

 対してメッシは、政治的発言をほとんどしない。クリーンなイメージを保ち、スキャンダルのない模範的な選手である。

 マラドーナを愛する者たちは、彼の中に自分たちの姿を見たのだろう。逆に懐疑的な者たちは、規律の欠如、自己管理の失敗、社会への悪影響という秩序の破壊者を嫌悪した。メッシは、誰も傷つけず、刺激せず、だから嫌われない。

 マラドーナとメッシ。両者の対比が映し出すのは、アルゼンチンという国の複雑さである。労働者と富裕層、左派と右派、反逆と秩序。どちらが正しいとはいえない。その両方が対立しながら共存している。それがアルゼンチンなのだ。

 アルゼンチンという国を理解したければ、政治家の演説を聞くよりも、サッカースタジアムに行った方がいい。

 ピッチの上で繰り広げられる90分間に、美しさと醜さ、情熱と憎悪が詰まっているのだから――。

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