正確にいえば、国家公務員や国鉄などの公共企業体には、いわゆるキャリア組という形で(やや変形しつつ)残存しましたが、多くの民間企業では大卒も高卒も事務員・技術員として採用され、そこから年功的に昇進して幹部職員になっていくというキャリアパターンが生み出され、確立していったのです。

大卒と高卒を比べると
出世スピードの差は歴然

 もっとも、この説明はやや言葉足らずで誤解を招きかねないところがあります。図2をよく見ると、大卒と高卒は同じ事務員・技術員の層に入っていくとはいえ、その入口が上下に分かれています。

 戦後初期には、まだ少数だった大卒は(幹部職員として入るのではないとはいえ)幹部職員に近い上の等級で採用され、多数派だった高卒はより下の等級で採用されました。また、大卒の昇進速度は速く設定され、高卒の昇進速度はそれよりも遅く設定されていました。

 それゆえ、幹部職員に到達するのも大卒は早く、高卒は時間がかかりました。

 当時、高卒ホワイトカラーが出世の早い大卒の同僚に対して「仕事は自分の方ができるのに、学歴が高いだけで……」と、学歴主義に対する恨み節を吐露することがよく見られました。

 この状況を大きく変えたのは、戦後期から高度成長期に進行した高学歴化の波です。まず、高校進学率が急上昇して、ブルーカラー要員であった中卒者が払底するようになりました。

「金の卵」と呼ばれたのもつかの間、企業は激減した中卒者の代わりに高卒者をブルーカラー要員として採用するようになります。一方、大学等の高等教育機関への進学率もこの間着実に上昇を続け、新規採用されるホワイトカラーの大部分は大卒者となっていったのです。

年功序列と社会の高学歴化が
名ばかり管理職を生み出した

書影『管理職の戦後史 栄光と受難の80年』(濱口桂一郎、朝日新聞出版)『管理職の戦後史 栄光と受難の80年』(濱口桂一郎、朝日新聞出版)

 この転換期においては、ブルーカラーにおいてもホワイトカラーにおいても中高年層と若年層では学歴構成が大きく異なっていました。

 中高年ブルーカラーが中卒中心であるのに対して若年ブルーカラーはほとんどが高卒であり、中高年ホワイトカラーは高卒が多いのに対して、若年ホワイトカラーは大卒中心となっていきました。

 1970年代、高度成長期から安定成長期に移り変わる時期になって、管理職過剰とか管理職ポスト不足といった管理職問題が騒がれるようになった背景にあったのは、この大量の大卒ホワイトカラー層が管理職適齢期に差し掛かってきたことがあります。

 それまで建前上は平等化しつつも、実態的には多くの高卒ホワイトカラーは大卒並みに管理職に昇進してはいなかったのが、多くの大卒ホワイトカラーをそれまでの少数だった大卒の処遇と同様に年功的に管理職に昇進させていくと、管理職過剰が発生するというのは見やすい道理です。

 ちょうどそこに、ニクソンショックや石油ショックによる経済状況の悪化が重なり、『椅子なき管理職』が生み出されたわけです。