それは、長年ヒラ社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
部長だからと言って
高度なタスクができるとは限らない
こうした管理職に対する感覚をよく示しているのが、ベストセラーコミックの『課長島耕作』シリーズです。
企業主義の時代まっただ中の1984年に初芝電器の係長として始まり、長く課長を務めた後、90年代には部長に昇進、21世紀には取締役、常務、専務、社長を経て、会長になっていくというサラリーマンのサクセスストーリーです。回想編として『ヤング島耕作』『ヤング島耕作主任編』『係長島耕作』もあります。
法律的には単なる労働者から管理職を経て労働者ではない経営陣に至るまでが1本のキャリアパスとして描かれているところが、いかにも日本型雇用システムを体現しています。
日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしての性格を分け持っており、ヒラ社員から中間管理職、上級管理職、経営陣に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくのです。
こういう感覚を前提とすれば、ヤング島耕作=ヒラ社員、ミドル島耕作=管理職、シニア島耕作=経営陣という年齢と社内身分の対応はあまりにも当たり前なのでしょう。
そして、「部長ならできます」が笑い話として消費される理由もここにあります。管理職がいかなる意味でも職種ではあり得ない世界です。
ジョブ型雇用(編集部注/職務内容や勤務地などを特定し、それを遂行できる人材と契約する雇用形態)社会を前提に作られた労働法制が求める一義的な管理職と非管理職の線引きが困難にぶち当たるのは、1つには上述のように課長から新入りまでマネージャー的、スペシャリスト的、アシスタント的なタスクが連続的に配分されており、どこに線を引いても矛盾が生じるからですが、もう1つにはそういうタスクの如何とは全く関係のない社内の地位、あるいはむしろ身分を表象する特殊日本的「管理職」概念が厳然と存在し、それがジョブ型雇用法制との間にどうにも解きほぐしようのない混乱を生み出してきたからです。







