もちろん、他者と自分は、同じ場面であっても、異なる考え方や感情を持つ可能性があることはわかっているのですが、他者の心を知ることは難しい。一方で、自分の心がどうなるかは、少し考えてみれば想像がつくでしょう。

 また、自分の心は、何かにつけて注意が向きやすい対象でもあります。したがって、自分であったらどうなのかを「シミュレート」し、それを他者にも適用するのです。

 このように、他者も自分と同じように感じたり考えたりすると思うことは、子供によくみられる特徴です。

 心理学の研究では、自分の心に基づき、他者の心を推し量るシミュレーション説の方略が、発達的な観点からみて、私たちの心が持つ「デフォルト方略」であるといわれています。

 大人は、他者の心が自分と同じではないことを、当たり前として知っているのですが、幼い子供はそうではありません。自分が感じていることや認識していることは、他者も同様に感じ認識していると思うのです。

 たしかに、ステレオタイプであれ、他者の心の働きに関する自分なりの理論であれ、それらを獲得するためには、一定の経験が必要ですから、理論説に基づく方略が、あとから備わってくることは不思議ではありません。

 自分が感じ、考えているように、他者も感じ、考えていると思ってしまうのは、子供っぽいといえばそうなのですが、持っている知識を駆使して、最善を尽くそうとする姿でもあります。

 子供にとっても、他者の心を読むのは生きるために重要な課題です。それを、何の手掛かりもなく全くの白紙からおこなうのは、無理でしょう。

 自分の心を手掛かりとして参照するという方略が、デフォルトとして私たちの心に備わっているのは、人間の心が「よく設計されている」一例だとみなせるのです。