よく言われるように、「まず型から入れ」で、定型文的なものが書けるようになってから、今度は自分流の文体を作っていく。下地作りのために、市役所や県庁取材をする際にはやはり担当の先輩記者の記事を書き写すことを続けていました。

 こんな訓練を自主的に3年ほど行なった結果、記事にはどのような要素を盛り込み、どう書けばいいのかだんだんわかってきました。これによって、かなりの基礎が出来上がりました。

 会社の指示をこなすだけでなく、地力を鍛える努力はやはり必要です。生成AIを使って原稿を書くなんて当時は考えもしなかったし、生成AIに頼っていたら、今の力は得られなかったでしょう。

 当然のことですが、人並みのことをしていれば、人並みにしかなれません。人並み以上のことをして、初めて人よりも抜きん出ることができるのです。

警視庁の捜査一課担当にだけは
なりたくなかった理由

 さて、こうしてNHKに入局して希望通り松江放送局に配属されたあと、広島の呉通信部に異動となった私は、そののち東京報道局の社会部に配属となりました。

 しかも、「あそこだけには行きたくない」と考えていた警視庁担当、それも捜査一課という殺人や強盗事件を扱う課を担当することになりました。いわば、「配属ガチャ」で外れを引いたことになります。

 なぜ警視庁担当だけにはなりたくなかったかといえば、取材が過酷だからです。松江や呉でも警察署への取材はしていましたが、警視庁の文化はまったく違います。

 地方ではめったに大きな事件が起きませんし、起きてもすぐに容疑者が逮捕されて一件落着となることが多かったのですが、警視庁の場合は捜査本部が設置されて大掛かりな捜査が行なわれますし、次々に同様の大事件が起こります。

「警視庁担当はとにかく忙しい、地獄の日々だぞ」と同僚の間でもささやかれていたので、警視庁担当だけにはなりたくないと思っていたのです。

 (改ページ)地獄の日々がのちの成長につながった

 配属先を知ってからも、どうしたものかと悩んでいたのですが、結果として会社の方針を受け入れることにしました。

 本当に地獄の日々かもしれないけれど、永久にその仕事をしなければならないわけではない。2、3年でまた異動になるはずだ。ならばこの間は地獄を見ることになっても、それも修行だと思えば耐えられるし、そのあとはどこへ行ってもやっていけるのではないか、と考えたからです。

 ▼中見出し
 職務質問も受けた地獄の日々が
 のちの成長につながった

 そうして異動してみると、やはり警視庁担当は地獄の日々でした。

 捜査が終わって自宅に帰ってくる捜査員を待ち受けて「夜討ち」といわれる取材を毎夜毎夜繰り返すのです。何時間も家の前で張っているわけですから、こちらも毎晩午前様。

 私は待っている時間がもったいないと思い、街灯の下でNHKのラジオ英会話のテキストをぶつぶつ音読していました。何時間もこうしている人間がいるのはいかにも怪しく見えたのでしょう。警察の職務質問を受けたことがあります。

 地獄の日々――それでも、終わってみるとこれはやはりいい鍛錬になりました。あの時期ほど大変な仕事は、他にはなかったからです。

 いわば、地獄の日々で筋トレをしすぎて、ちょっとやそっとではバテない体力がついたということでしょうか。長い目で見れば明らかに、この地獄の日々がのちの成長につながりました。

 自分にとって困難な課題が与えられた時に、本当に自分にこなせるのか、失敗したら評価が下がるのではないかなどとやる前から考えてしまい、「こんな厳しい環境は無理です」「覚えることが多すぎてパンクします」と断ることもできるのかもしれません。

 しかし、「これは自分が大きく成長するチャンスかもしれない」と思ってあえてその仕事を受けることで、学びになること、わかることが必ずあります。

 長時間労働やパワハラなどで圧力をかけるのとは違います。仕事の質の面で、自分に負荷をかけなければなかなか力はつかないということです。