心停止直後に脳神経は
異常に活発化している

 臨死体験では、「光を見た」「自分の身体を外から見た」「人生が走馬灯のようによみがえった」といった共通の証言が多く報告されている(Greyson, 2003)。

 これらは、酸素不足や、心停止直後に見られる一過性の高周波神経活動(たとえばγ波活動)によって説明されることが多いが(Borjigin et al., 2013; A Shaw, 2024)、その生々しさは単なる幻覚とは一線を画しているともいう。

 一部の研究では、臨死体験中の脳波に、むしろ覚醒時よりも統合的・同期的な活動パターンが見られることも示唆されている。それは、外界との接点を断ち切った脳内で明滅する、「意識の終焉を告げる最後の同期活動」なのかもしれない。

 臨死体験の多くは、覚醒時の意識とも夢とも異なる、独特の主観性を備えている。ある種の「クリアな意識状態」である一方で、外界との感覚的接続は断たれている。まるで感覚のない静寂の中に、変容した意識の光だけが灯っているような体験だ。

 さらに、死後も数分間にわたって脳活動が続くケースが報告されている。動物実験では、心停止直後に一過性の神経活動の同期化(いわゆるハイパー同期)(編集部注/死の直前の危機的状況で、脳の神経細胞が異常に活発に活動する現象)が観察され、それが「強烈な意識体験」をもたらす生理的基盤である可能性も示唆されている。つまり、意識の終焉は「最後の輝き」ともいえる現象を伴っているのかもしれない。

 そして、死とは、単に意識が消えることではなく、「意識の連続性に支えられた主観的世界が、静かに幕を閉じること」でもある。

ひとりの人が死ぬことでひとつの
脳が認知した「世界」も消滅する

 死とは、単に私の命が終わることではなく、私の脳が独自の「記憶(自分史)」「癖」や「構造」で紡いできた世界の終焉でもある。

 世界とは、私の感覚器官と脳の情報処理によって編み上げられた構築物であり、それが消えれば、私の脳が感覚器官から得た情報をもとに紡いできた「私にとっての現実」そのものが消滅する。

 そのとき本当に消えるのは「私」なのだろうか、それとも「世界」の方なのだろうか。少なくとも、私以外のものが認知している世界は続いていくはずだ、との確信はある。

 私の感覚器官が、そして脳が材料にした、オリジナルの世界の情報は存在し続けるに違いない。しかし私だけではなく、いつか、人類が滅亡したらどうなるのだろうか。