少子化を解消しても
新たな問題が起こり得る
将来の労働力を確保するという意味では確かに必要な投資ですが、あくまでもそれは今現在の価値観です。今生まれた子が労働力になる20年後にはそんな常識が覆るような現実が待っているかもしれません。
冷静に考えれば、あらゆる仕事をAIが担うような時代になるのはすでに確実視されていて、それが実現した暁には人間の労働力は大して必要ではなくなります。
つまり、「少子化を解消して人口が増えたはいいが、働く場所がない」という状況は十分起こり得るのです。
1つだけ人が少ないことの不利があるとすれば、人口が減ることで「消費力」が落ちる可能性があることです。消費が落ち込むのは経済発展上も不利ですし、防衛上のリスクもあります。
けれども、1人ひとりの消費力を上げることができれば、人口が減ったぶんをカバーすることは不可能ではないでしょう。
だからこそ、現実味のない少子化対策に時間や予算を投じるよりも、「消費力」をこれからどう拡大していくかというテーマに国はもっと真剣に向き合っていくべきだと私は思います。
「高齢者ぎらい」の克服が
新たな時代への適応となる
高齢者が軽んじられたり、大事にされなかったりすること自体、今の日本社会に「生産性信仰」が根強く残っていることの何よりの証拠です。
『「高齢者ぎらい」という病』(和田秀樹、扶桑社)
生産性というものさしで人を測ろうとすれば、若い人と同じように働くのが難しい高齢者は「役に立たない」ということになってしまいます。
また、生産性の呪縛にとらわれているのは実は高齢者も同じです。 だから、「自分は社会のお荷物なのだ」などと自分を卑下したくなったり、社会の中での居心地の悪さを感じたりしている高齢者は決してめずらしくありません。本来であればあってはならないことだと思うのですが、これが今の日本の現実なのです。
しかし、「生産性」より「消費力」のほうがこれからはずっと大事なのだと気づくことができれば、余計な生産をせず、消費だけをしてくれる高齢者は役に立たないどころか、むしろありがたい存在になっていきます。
また、高齢者のほうも「お金を使っている限り自分は現役だ」という自信がもてるようになり、生きる活力も生まれてくるでしょう。
そしてますますたくさんのお金を使うようになれば、経済は一気に回り始めます。
つまり、「生産性」から「消費力」のほうにシフトするのは、「高齢者を大事にするための」発想の転換といったレベルの話ではなく、少子高齢化を強みに変え、日本が豊かさを取り戻すための重要な変革なのです。







