イランは誇り高く民度も高い
簡単に米国の軍門には下らない

 イランは、紀元前の古代からアケメネス朝ペルシャとして地域に覇を唱えていた。古代ギリシャとの戦争では、ギリシャを倒す直前まで行ったことで知られる。中東では、アラブやトルコに比べて、はるか昔からの国家文明を持つ。

 16世紀末にサファビー朝の首都となったイスファハーンは、その繁栄ぶりから「世界の半分」とまで言われた。筆者も訪問したことがあるが、中世の発展を忍ばせる青色の美しいモスクの荘厳さに圧倒された。

 アレキサンダー大王やモンゴル帝国、アラブの支配を受けた時期はあるが、逆にこれら支配者の文化を「イラン化」して発展してきた。近代も、イギリスやロシアの影響を受けながらも王朝は維持し、完全な植民地にならなかった。

 イラン人と話をしていると「自分たちは数千年の文明国家だ」という誇りを強く感じる。安易に白旗を揚げ、米国の軍門に下る国ではない。

 中東の専門家と議論すると、イランについて「民度が高い」という言葉を聞く。主観的な表現ではあるが、ある地域や集団に属する人々の文化的・教育的水準が高いと言い換えられるだろう。実際、イランは識字率が高く、理学・工学系の論文数も多い。

 今回の報復でも、イランのドローン「シャヘド」が威力を発揮していることは、米国側も認めている。イラン技術水準の高さを示すものと言ってよいだろう。

イスラム共同体と殉教の思想が
イランを徹底抗戦に向かわせる

 今後の展開を考える上では、イスラム共同体への攻撃と、殉教の思想も重要な要素となる。

 イスラム教は、キリスト教やユダヤ教と比べても、社会の仕組みを宗教の教えに則って運営すべきだという考えが強い宗教である。イスラム教徒は、イスラム共同体として社会の安定と発展を目指す。この共同体は、アラビア語で「ウンマ」と呼ぶ。

 ウンマでは、異教徒が存在していても、必ずしも排除されるわけではない。伝統的なイスラム法の下では、キリスト教徒やユダヤ教徒などの「啓典の民」はジズヤ(人頭税)を支払うことで居住や商業活動を認められる制度があった。