また、コーランは無制限の戦争を奨励しているわけでは決してない。したがって、イスラム教徒が本質的に好戦的であるという見方は、単純化しすぎた理解と言えるだろう。

 ただし、イスラム共同体が外部から攻撃を受けた場合は、どうなるか。

イラク・イランの歴史とイスラム教のポイントを押さえ、どのような政治システムか見るillustration:PIXTA

数千年も続く死生観と深く結びついた
宗教的な生き方・死に方に関わる問題

 イスラム法学では、基本的に「防衛のために戦う」ことは「正当」とされる。

 テレビのコメンテーターの中には、イランの殉教観を、戦前の日本軍の精神主義や共産主義の教条主義になぞらえる向きもあるようだ。しかし、私はそれとは性質が異なるものだと思う。

 なぜなら、時と場合によって変わる政治思想ではなく、数千年も続く死生観と深く結びついた宗教的な生き方・死に方に関わる問題だからである。

 イスラム教では、信仰のために命を落とした者はシャヒード(殉教者)と呼ばれ、特別な意味を持つ。多くのイスラム教徒は、殉教者は神のもとで特別な報いを受け、楽園に迎えられると信じている。

 今回の米国とイスラエルの攻撃で、すでに多くの死者が出ていると報じられている。イスラム教徒の中には、異教徒との戦いで命を落とした場合、それを殉教として理解する人もいるだろう。革命防衛隊の兵士の中にも、殉教を意識している者がいる可能性はある(無論、実際に死を望んでいるかどうかは別の問題だ)。

「楽園に迎えられるために、命を懸けることもいとわない――」

 このような宗教的観念が、一定の影響力を持っていることは否定できない。日本では宗教、特に一神教への理解が十分とは言えないが、イランを理解する上でまずこの思想や価値観を把握することが重要だ。