「構想力・イノベーション講座」(運営Aoba-BBT)の人気講師で、シンガポールを拠点に活躍する戦略コンサルタント坂田幸樹氏の最新刊戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』(ダイヤモンド社)は、新規事業の立案や自社の課題解決に役立つ戦略の立て方をわかりやすく解説する入門書。戦略とは何か。変化の時代に、企業は何を問い直すべきなのか。本連載では、さまざまな経営や組織の悩みについて坂田氏に話を聞きながら、同書の考え方を現在進行形の課題へと結びつけていく

「静かな退職(Quiet Quitting)」の代償:AI時代に生き残る人、消える人Photo: Adobe Stock

「定義されたタスク」に安住するリスク

――最近、米国を中心に「静かな退職(Quiet Quitting)」が注目を集めています。契約通りのタスクのみをこなし、精神的な余裕を持つ働き方です。ギャラップ社の調査(2023年)によれば、世界の従業員の約6割がこの「静かな退職」の状態にあるとされています。一見すると賢い処世術のようにも思えますが、この現象をどうご覧になりますか。

 合理的な働き方のようにも見えますが、私はむしろ危機感を覚えています。戦略的な視点から見ると、これは「精神的な安定」と引き換えに、長期的なスキル形成への投資を後回しにする、極めてリスクの高い選択です。

 AIが得意とするのは、ルールが明確に定義されたタスクです。マッキンゼー・アンド・カンパニーのレポートでも、2030年までに現在の業務の3割が自動化される可能性が指摘されています。そのため、担当業務として定められた作業を忠実にこなすだけの働き方は、長期的にはAIとの直接的な競争にさらされる可能性が高いと言わざるを得ません。

――こうした働き方は、個人のキャリアという観点ではどのような意味を持つのでしょうか?

 人の成長は一般的に「コンフォートゾーン」「ストレッチゾーン」「パニックゾーン」という三つの領域で説明されます。コンフォートゾーンは安心してこなせる領域、ストレッチゾーンは少し負荷がかかる成長の領域、そしてパニックゾーンは負荷が高すぎて機能しなくなる領域です。

 多くのビジネスパーソンは、コンフォートゾーンにとどまることが、結果として自分の市場価値を相対的に低下させている事実に気づいていません。

 もちろん「頑張りすぎない働き方」を否定しているわけではありません。

 ただし、かつてのように「この会社にいれば安心だ」と言い切れる時代ではなくなりました。市場環境や技術が急速に変化する中で、組織の安定がそのまま個人のキャリアの安定を保証するわけではないからです。

 だからこそ、自ら少し負荷のかかるストレッチゾーンで試行錯誤しなければ、次世代のキャリアをデザインすることは難しくなるでしょう。

20世紀型マネジメントが招いた「停滞」

――個人の問題だけでなく、組織のマネジメント側にも責任があるのでしょうか。

 その通りです。これはマネジメントの課題でもあります。

 従業員のエンゲージメントは、自身の「成長実感」と強く相関することが多くの調査で明らかになっています。自分の能力が広がっている、あるいは新しいことに挑戦できていると感じられるとき、人は仕事に主体的に関わろうとします。

 それにもかかわらず「静かな退職」が広がるのは、マネジャー側の業務設計の問題もあります。

 本来、組織の仕事は、既存業務をこなすだけでなく、少し背伸びをすれば届くような課題、つまり能力をストレッチさせる仕事を組み合わせて設計する必要があります。

 しかし現実には、短期的な効率やミス回避が優先され、部下に与える仕事がルーチンに固定されてしまうケースも少なくありません。

 その結果、社員は成長の実感を得られず、「決められたことだけをこなす」という働き方に閉じていく。こうした構造が、「静かな退職」を生みやすくしている面もあるのだと思います。

――現在の働き方の制度自体にも、課題があるのでしょうか?

 現在の「1日8時間労働」という制度は、20世紀の工業社会を前提に設計されたものです。当時は、決められた作業を一定時間こなすことが生産性につながると考えられていました。

 しかし、現代のナレッジワーカーの価値は、単に時間を費やすことではなく「思考」や「発想」によって生まれます。それにもかかわらず、ウェブ会議やチャットの即時対応に追われ、時間をただ埋めるような働き方を続けていれば、付加価値を生むための思考時間は失われてしまいます。

 優れた企業は、意図的に「戦略的な余白」をデザインしています。

 例えば、かつてのGoogleが「20%ルール」を設けていたように、あるいは一部の先進的な日本企業が「社内副業」や「新規事業提案制度」を推奨しているように、社員がルーチンを離れて未知の課題に挑む余地を作ることが、組織の強さにつながるのです。

AI時代の働き方は「余白」から生まれる

――これからのAI時代、私たちは「頑張りすぎない」という言葉をどう解釈し直すべきでしょうか?

 単に力を抜くだけの「頑張りすぎない」は、停滞しか生みません。

 戦略の本質とは、限られた資源をどこに投じるかという「選択」にあります。つまり、重要度の低いルーチン作業に対して「やらないこと」を決め、そこで生まれた余白を「新しい問いを立てる時間」へと再配分すること。これこそが、AI時代の働き方です。

 AIは「正解」を導くことは得意ですが、何が「問題」であるかを定義することはできません。

 問いを立てるのは、人間の役割です。そのためには、現場での実体験や、多様な人との議論を通じて得られる洞察が欠かせません。そうした経験を積み重ねることで、既存の枠組みにとらわれない最適解を自ら創り出す力が育っていきます。

 AI時代に淘汰されるのは、思考を停止し、ルーチンに安住する人です。

 誰かに与えられたタスクをこなすのではなく、自らの意志で「余白」を創り出し、未知の課題に向き合うことを意識することが重要です。こうした思考法については、拙著『戦略のデザイン』でも詳しく説明しています。

――ありがとうございました。

坂田幸樹(さかた・こうき)
IGPIグループ共同経営者、IGPIシンガポール取締役CEO、JBIC IG Partners取締役。早稲田大学政治経済学部卒、IEビジネススクール経営学修士(MBA)。ITストラテジスト。
大学卒業後、キャップジェミニ・アーンスト・アンド・ヤング(現フォーティエンスコンサルティング)に入社。日本コカ・コーラを経て、創業期のリヴァンプ入社。アパレル企業、ファストフードチェーン、システム会社などへのハンズオン支援(事業計画立案・実行、M&A、資金調達など)に従事。
その後、支援先のシステム会社にリヴァンプから転籍して代表取締役に就任。
退任後、経営共創基盤(IGPI)に入社。2013年にIGPIシンガポールを立ち上げるためシンガポールに拠点を移す。現在は3拠点、8国籍のチームで日本企業や現地企業、政府機関向けのプロジェクトに従事。
単著に『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』『超速で成果を出す アジャイル仕事術』、共著に『構想力が劇的に高まる アーキテクト思考』(共にダイヤモンド社)がある。