『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第136話は、東大受験をめぐる「環境と努力」について考える。
「ノブレス・オブリージュ」に覚えた違和感
東京大学の入試が目前に迫り、龍山高校の生徒たちは動揺を隠せなくなる。東大合格請負人・桜木建二は「人間なんてだいたい一緒!」「ただ何をやったかで全く変わる」と言って生徒たちを落ち着かせ、本番に向けて励ますのだった。
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないでください」。2019年の東京大学入学式における社会学者・上野千鶴子氏の祝辞の一節だ。
この言葉は当時も今もたびたび引用され、称賛と反発の両方を浴び続けている。実際、東京大学が定期的に実施している学生生活実態調査によれば、東大生の家庭の半数以上が世帯年収950万円以上であり、彼らの多くが高収入で恵まれた環境で育っているというデータがある。
もちろんその一方で、決して裕福とは言えない環境に生まれ育ち、血のにじむような苦労をして東大の門を叩いた学生も少数ながら確実に存在しており、環境と努力の相関関係は常に複雑だ。
「特権を持つ者はそれに伴う社会的責任や義務を果たさなければならない」という欧米の伝統的な道徳観を意味する「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。フランス語の「Noblesse(貴族)」と「Obliger(義務を負わせる)」を組み合わせた言葉だ。
私が通っていた塾の東大専門コースでは、この言葉がスローガンのようにたびたび繰り返されていた。当時の私は、「そもそも自分のことを『ノブレス(特権階級)』という前提に置くこと自体が、ひどくおこがましいのではないか」と思い、この言葉がひどく嫌いだった。
だが、私立の中高一貫校に通わせてもらえた時点で、私の環境は客観的に見て十分に素晴らしいものだった。大学生になり、久しぶりに高校時代の友人たちと語り合う中で、高校生の頃には気づかなかった、あるいは皆が意図的に見せていなかったそれぞれの家庭の経済環境や事情のグラデーションを肌で感じるようになった。アパートの家賃や、すでに車を持っているか否か、あるいは外国にルーツがあると公表した友達もいた。
「特権階級などではない」こそが、むしろ…
『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
「私はノブレス(特権階級)などではない」と自分の環境を否定することこそが、実は最もおこがましい態度なのではないか、と。恵まれた部分から目を背けることは、今自分が挑戦できないことや一歩踏み出せないことの理由を「環境のせい」にすり替えるための、都合の良い言い訳になっていないだろうか。
ある時、医者の次男に生まれながらも文系に進んだ友人にこの葛藤を相談してみた。彼はいつも明るい性格だが、実家が病院という環境や周囲の期待に対して、彼なりに思うところや葛藤はあったはずだ。私の話を聞いた彼は、笑いながら「結局、ないものねだりだよね」と言ってのけた。
どれほど恵まれて見えても、誰にでもできることとできないことがあり、全てを完璧に手に入れることなど不可能だ。大学という開かれた場所に出ると、背景にある努力の過程や環境の複雑さを全く知らない人々が、所属する大学名や表面的なステータスだけを見て、勝手に妬んだりバカにしたりすることがある。
SNSの匿名空間では特にその傾向が顕著だ。しかし、他人の勝手なラベリングに振り回される必要はない。
これから大学生活を送る皆さんに意識してほしいのは、他人の目ではなく、「自分に与えられた環境や手札に対して、どれだけ自分なりの努力ができているか」という内なる評価軸を持つことである。自らの環境を正しく受け入れ、その上で時にはその環境に抗おうと歩みを進めていく。そんな芯のある充実した大学生活を、ぜひ楽しんでほしいと思う。
『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク







