そのペンギンがなぜ群れを離れて、餌場のある海ではなく死の待つ山へ向かったのかは定かではない。理由の説明できない奇行であり、動画内に紹介されている研究者の言葉によれば、「そのペンギンを捕まえてコロニーに戻しても、すぐにまた山の方へ向かうだろう」とのことである。

しがらみから解放されたい…
集団の中で生きる人間とシンクロ

 しかし胸を打つ映像である。真っ白で広大な雪原の中を、小さなペンギンが両手(正確にはフリッパー・翼)を広げて、肩を左右に落とすあのペンギン独特のよちよち歩きで、遥かかなたの山に迷いなく向かっていく。

 一度、途中歩みを止めてこちらを数秒振り返り、また山へと進んでいく。荘厳な雰囲気のBGMは「神聖」や「厳か」「死・殉教」といったイメージを想起させる。

 ニヒリスト・ペンギンは喋らず、行動の理由もわからない。該当部分は1分と少しという短さで、想像の余地がふんだんに残されているから、見る人はそれぞれの自己像をそこに投影し、多様な解釈が生まれるに至った。

 動画を見てまず思い浮かぶのは「この子は大丈夫か」や「なぜこんなことを」という心配や疑問である。死がほぼ確定しているので人間がどれだけ気を揉もうと結末が変わることはおそらくなく、安否を気遣ったところで詮無いのだが、観る者のその無力感がペンギンへの感情移入を一層強くさせる。

 だがペンギンの歩みそのものに悲壮感はまったくない。決然とした様子は、死の行進の理由を「ただのバグ的な異常行動」といった一言で片付けたくないと感じるほどの意志を感じる。

 死を覚悟してでも求めるものがその先にあったのか。それとも群れから離れること自体に意味があったのか。社会・集団をペンギンと同じく持つ人間にとって、ニヒリスト・ペンギンは非常に擬人化しやすかった。

 ここまでがおそらく多くの人が持つ感想のスタート地点で、その後解釈が人それぞれ分岐していく。

 広大な雪原を1羽で歩いていく姿は、しがらみから解放された自由を感じさせる美しさがある。自分以外は誰も存在しない世界の透明感とその心地よさは、共同体の中で生きる動物にとっては非現実的だが、憧憬にも似た感傷を伴って観る者の胸に去来する。