と、上記では「ネット民の性格」としてあえてネガティブ寄りの書き方をしたが、ミーム「ニヒリスト・ペンギン」を見ていると、そうした物事への向き合い方は単に「卑屈な小心者」だからというわけではなく、「賢い共感のアプローチ」かもしれないと気付かされた。
というのも、「愛らしい様子のペンギンが死に向かって歩く」なる短い物語に微塵も心を動かされない人というのはおそらく稀なので、すると多くの人はニヒリスト・ペンギンにいくらか心を寄せていることになる。
これから日本でもバズる?
20年前の映像が現代人に刺さる要素
心を寄せた上で斜に構えたりジョークにしたり、というスタンスが出てくるのは、深刻に考えれば考えるほど重さを増す「ペンギンの死の行進」を、自分に受け入れやすいサイズに調整しているからではあるまいか。ジョークを交えるのは一種の咀嚼で、受容のためのクッションなのである。
してみると、ニヒリスト・ペンギンをジョークにする人はあっても、その行動を愚かだと決めつけたり嘲笑する人はほぼいないことにも気付く。誰もが自分に照らし合わせながらニヒリスト・ペンギンの行動に共感できるからである(世の中に「ニヒリスト・ペンギンに共感しない人はいない」というわけでなく、「共感している人がミームに参加している」という構図ではある)。
ジョークを通じた共感の表明はミームをさらに人を引きつけるものにし、かくしてミームは拡大・定着していく。
冒頭でも述べた通り、ニヒリスト・ペンギンは現在海外を中心に流行っているミームだが、おひとり様文化が好まれる日本とも相性がいいので、今後国内でも知られるようになっていく可能性はある。
20年近く前の映像が現代でバズったことに意味がある。ニヒリスト・ペンギンは現代を生きる人の感性にこそ刺さる要素を備えていて、そこから「現代人とは何か」が読み取れるのもまた興味深い題材である。







