ガーディアンなどによれば、戦後も逃げ隠れはしておらず、収容所の元所長が被告になった裁判で証言もし、すでに知られた存在だった。それが、70年以上たって、本人が被告として法廷に立たされることになった。

 高齢者施設で生活していた女性は、初公判の日に逃亡を図り、拘束されたこともあった。裁判では基本的に口をつぐんでいたが、終盤に「あの時、シュツットホーフにいたことを後悔している。それが私の言えるすべてです」と述べたという。

 同じ強制収容所の元看守の例、さらには殺害という行為から離れた場所にいたタイピストであっても、殺人幇助罪が適用されている以上、今回の元看守の男性も裁判になれば、かなり高い確率で有罪になるだろうと予想できた。

高齢者や下級職員でも
責任を追及するドイツ社会

 ただ、看守やタイピストなど「小物」に対する裁判には、批判の声もある。そこには、「大物」はどうなったのか、という問いが横たわっている。

 ナチ・ハンター(編集部注/ナチ時代の犯罪に関わった者たちの責任追及を続ける活動家)のサイモン・ヴィーゼンタール(編集部注/オーストリア生まれのユダヤ人でホロコースト生還者。ユダヤ人迫害に関わった多くの犯罪者を追い続けた、元祖ナチ・ハンター)の指摘はこうだった。

「昔のナチ連中が、相も変わらず、枢要の地位にずらりと並んで居座っている」

 高齢になったとしても、組織の末端にいた下級職員であっても、罪を問うことの意味はどこにあるのだろう。

 一般に刑罰の目的は「応報」と「予防」と言われる。応報は被害者が受けた被害の反作用として、加害者を罰する。予防は2つに分かれ、加害者本人が再び犯罪に手を染めないようにするという「特別予防」と、他人(社会)が同種の犯罪をしないようにするという「一般予防」の側面がある。

 今のナチ犯罪の裁判はどちらだろう。やはり応報の側面がまずありそうだ。しかし、元看守やタイピストの殺人幇助罪の対象となる被害者は数千、時には万単位にもなる。それに見合う刑がそもそも存在するのだろうか、との疑問はわく。