予防はどうか。タイピストの女性は戦後、犯罪とは無縁の生活をしていたという。法廷供述からしても、彼女が「再犯」をするとは思えない。残るのは、社会に対する予防だ。二度と、こうした犯罪を引き起こさないために、裁きが必要ということだろうか。

 あるいは、未曽有の犯罪を国家として引き起こしたことへの国際社会に対する贖罪もあるかもしれない。時効を撤廃し、容疑者がいる限り追い続けることは、民主的国家として再生するという、戦後のドイツ社会の宣言とも取れる。

生存中のナチスの加害者は
今日でも裁かれるべき

 歴史家でもあるライの答えも、それに近いものだった。

「私たちはここで何があったかを伝えなければならないのです」。

 伝える相手は、ドイツ社会であり、国際社会だという。そして被害者や遺族にも言及した。

書影『終章ナチ・ハンター』(中川竜児、朝日新聞出版)『終章ナチ・ハンター』(中川竜児、朝日新聞出版)

「被害者は自分の受けた痛みを決して忘れられない。傷や痛みをずっと抱えて生きている。証言し、被害を認めてもらう機会が必要です」

 ナチ犯罪追及に対する、世論の支持は高い。ドイツのツァイト紙が2020年に実施した世論調査によれば、「裁きを受けていない生存中のナチスの加害者は今日でも裁かれるべきか」との質問に、「全くその通り」「そう思う」をあわせると、76%にのぼっていた。「高齢だから」「組織の末端にいただけだから」という「情け」が入り込む余地はないようだ。

 それでも、強制収容所に勤務した看守や下級職員らは当時10代後半~20代前半。今は軒並み90代になっている。この時点で、今後裁判の可能性があるのは4人になっていた。ザクセンハウゼンの生還者もわずかで、ドイツ、イスラエル、米国、ロシアなどに暮らしているという。