写真はイメージです Photo:PIXTA
携帯電話で写真を撮り、友達に送る……今や当たり前となっているこの行為は、2000年に誕生した。20世紀には携帯電話は通話するためのものであり、写真を撮るなどということはできなかったのだ。携帯電話で写真を撮り、メールに添付する「写メール」(写メ)。その生みの親が、当時J-PHONE(東京デジタルホン、現ソフトバンクモバイル)の開発メンバーだった高尾慶二氏だ。高尾氏によれば、写メールを思いついたきっかけは、深夜番組で見かけた女子高生のかばんの中身だったという。自撮りができる鏡、マナーモードでも鳴るシャッター音、QRコード読み取り機能……写メール開発秘話をお送りする。(インタビュー/遠藤 諭、構成/中村砂織)
自動車エンジニアが通信業界へ~異色のキャリアチェンジ
「写メール」の生みの親、高尾慶二氏 Photo:ZEN University
――自動車メーカー出身の高尾さんは、どのような経緯で携帯電話業界に進まれたのでしょうか?
高尾:大学院を卒業後、自動車メーカーのマツダに入社し、エンジニアとして働いていました。84年に入社し、85年に起きたのが通信の自由化。日本を引っ張るマクロ経済の牽引役が自動車産業から情報通信産業にいずれシフトすると考え、仕事をする傍らで自主的に勉強して通信の国家資格を二つ取りました。マツダは従業員が3万人いますが、この国家資格(第一級無線技術士&第一種伝送交換主任技術者の国家資格)を取得したのは私が初めてでしたね。ちょうどその頃、マツダが携帯キャリアのauやデジタルホングループに出資をしており、通信の知識があった私に出向の辞令が出たのです。
――当時、様々な業界の企業が通信系に興味を持っていろいろやりはじめていましたよね。
高尾:そうなんです。1992年に東京デジタルホンに出向するのですが、私のいた部署にもトヨタや新日鉄、商社など、様々な企業から出向してきたメンバーが集まっていました。その環境の中で開発を行い、1997年に世界で初めてスカイウォーカーという携帯でショートメッセージサービスが送れるサービスをローンチしたのです。携帯のポジショニングが通話のツールからメッセージのプラットフォームに変わった転換期ですね。そこから開発するおもしろさが、さらに加速していきました。
――開発をする中、どういう経緯でメッセージを送るという話が出てきたんですか。
高尾:当時、ポケベルでは公衆電話のテンキーを押してメッセージを発信するというのが、女子高生の間でブームになっていました。それを携帯電話でちゃんとした文字としてメールが送れるようになったら、もっと便利になるんじゃないかと考えたのです。開発にあたって世界中の企業を探し、見つけたのがアイルランドにあったベンチャー。そこがプラットフォームのコア技術を持っていたので、その技術を利用し、開発したのです。







