理想の農業を追求する、その道を選んだ結果が売上160万円という現実。彼は、理念に殉じているわけではない。理念に生きようとしたがゆえに、日常の安定すら許されない境遇に置かれていました。さらに私は、「売上が160万円もあるなんて儲けすぎだ」と近所の農家から責められることもある、という彼の話に強い衝撃を受けました。

 夏になって、彼から小さな箱が届きました。中には、丁寧に梱包された数個の桃が入っていました。香り高く、見た目にも美しかった。直ぐにお礼の電話をした私はこんな言葉をかけました。

「何とか力になれるように頑張ります。でも、一つだけ約束して欲しいことがあるんです。僕が言うのも変ですが、いつかちゃんと利益が出るようになったら、奥さんを旅行とかに連れて行ってあげてくれませんか?」

 しかし、しばらくして、彼から重い知らせが届きました。

「実は妻が出ていきました。貧乏生活が長過ぎて……」

「清く貧しくあるべき」という
理念が農家を困窮させた

 みどりの食料システム法が成立し、環境配慮型農業の推進が国家戦略として掲げられるなかで、私たちは「持続可能性」や「エシカル消費」といった美しい理念を語ることに慣れてきました。しかし、その理念の陰で実際の農業の現場では誰がどんな負担を引き受けているのか、その現実はまだ十分には共有されていないと思います。そういった観点から農業の現場に目をやると、理念が現場の声をかき消してはいないかという思いがぬぐい切れないのです。

 確かに最近の有機農家にはビジネス志向の人もいます。経済的に成功している人も大勢いるのでしょう。理念と現実のあいだで、地道に工夫を重ねている人たちも少なくありません。しかし私は、ラディカルに理念を貫いている農家ほど経済的に困窮している、という実感を持っています。

 各々が自分の責任でやってきたはずなのに、似たような困難に直面している人が、あまりにも多すぎる。そこには経営のやり方や技術の違いでは片づけられない何か、「自己責任」と言って片付けられない何かが確かにあると感じます。

「有機農業は儲からなくて当たり前」「お金のためにやるものではない」。そうした言葉をこれまで何度も耳にしてきました。実際に言葉にされなくとも、「農家は清く貧しくあるべきだ」という空気が、どこかに漂っていると感じることもあります。