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AIやセンサーを使う「スマート農業」や植物工場が注目されている。だが、それだけで農業と言えるのだろうか。茨城で農業法人を経営する筆者は、こうした取り組みをあえて「野菜生産販売業」と呼ぶ。テクノロジーだけでは語れない農業の本質とは何か。※本稿は、野口憲一『コメ関税ゼロで日本農業の夜は明ける』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
日本農業の高品質は
農家の“手間”が支えてきた
日本農業の品質を支えてきたのは、そうした遊びを内包した働き方に宿る文化的な厚みであり、農家の仕事観です。遊びの要素を含んでいるからこそ、農家は日々の作業に細やかな気配りを重ね、手間を惜しまず、妥協のない品質を追求してきたのです。
たとえば、「毎朝5時に畑に行って作物の様子を見る」「天気予報の誤差を勘案して水やりの時間を調整する」「ほんの少しの病斑でも即座に除去する」といった、過剰なまでの気配りが、世界でも類を見ないレベルの農産物をつくり上げているのです。
もちろん、こうした働き方には弊害もあります。生産性を単純な時間対効果で測ると、日本の農業は「非効率」に見えるでしょう。ですが、それだけでは語れないのが農業です。農産物は、工場で作られる製品のように生産工程を自動化したりすることはできません。土の状態や日照、気温のわずかな違いを察知し、都度対応できる技術や感覚こそが価値を生むのです。







