そこにハマスによる奇襲攻撃のショックと屈辱、恐怖心などが加わり、ガザでの戦闘継続、レバノンへの越境攻撃といった好戦的な状況が続いていた。

 以下ではガザ戦争が長期化した背景として、「約束の地」思想とシオニズム、とくに宗教シオニズムとの関係に焦点を当てる。

占領地からの撤退に断固反対する
大イスラエル主義が急拡大した背景

 シオニズムは19世紀のヨーロッパで生まれたユダヤ人の民族主義思想・運動であり、現在も政治や社会のあらゆる面でイスラエルの基幹イデオロギーとなっている。

 シオニズムは世俗的な運動として始まったが、世界に離散しているユダヤ人(教徒)をパレスチナに移住させ国家建設に動員するため、「約束の地」への「帰還」といったユダヤ教の教えやシンボルを多用した。そのため世俗的といっても、ユダヤ教との親和性は高い。

 シオニズムの登場にユダヤ教世界では2つの異なる反応があった。

 1つはユダヤ教の教えを厳格に守ろうとする超正統派と呼ばれるグループで、離散状態を神の意志によると解釈し、「約束の地」への人為的な帰還を呼びかけるシオニズムに反対した。

 だがホロコーストを経験したうえ、イスラエルが独立し現実の存在となったことから、超正統派の多くはシオニズムに距離を置きながらも宥和的となり、第2のホロコーストが起きた場合の「緊急避難先」としてのイスラエルに居場所を見出していった。

 もう1つが宗教シオニズムである。彼らはシオニズム思想の実践、つまり離散ユダヤ人が「約束の地」へ移住することを、神による救済プロセスの始まりと解釈し、シオニズム運動に積極的に関与した。

 ただ独立後のイスラエルの支配地域には、エルサレム旧市街地や古代ユダヤ王国の中心的な地域だった現在のヨルダン川西岸は入っておらず、「約束の地」という宗教的理念と現実のイスラエルの地理的範囲は大きく乖離していた。

 この乖離を埋めたのが1967年の第3次中東戦争である。「6日間戦争」と呼ばれるように、イスラエルはわずか6日間でエルサレム旧市街地や西岸、ガザなど「約束の地」と見なされる地域のほとんどを手に入れた。