いわゆる「ソフト教育」は真の教育ではない、努力して物事をつかむ能力はつかない――というのである。

 テレビの「白痴化」も困るが、テレビの「教育化」もこれまた困りものである。

 こういったマイナス面の危険もあるわけだが、とにかく「白痴化」というあだ名が、テレビの代名詞のように流行するという事実そのものを、反省の材料としてくれた放送関係者もあったということもこれまた事実だ。

 視聴率というものの処理のしかたも変化してきたし、スポンサーも、番組の内容の高さで、質的な宣伝効果を狙うことを研究するようになってきているのではないか。いわば散弾をやたらに数多く射つのではなく、ねらう鳥の群の状態によって、散弾の効果率を考えるというわけだ。

漫画のはんらんによる
「一億幼稚園化」を危惧

 もっとも放送関係者のなかでも、私のいい方にたいして「頭からきめつけるだけで、現実性がない。具体的な向上の手がかりにならない」という批判もあるようだ。

 ことに大衆娯楽の機関としてのラジオ・テレビに実際に携わる場合、どこに、娯楽と「白痴化」との一線を引くかということはなかなかむずかしい。

 しかし娯楽ということについて、私は最近、少年・少女雑誌を調査してみて感じたことだが、子供の読物の世界のバランスが完全に崩れてしまっている。

 童話的な、情操を引上げるような読物、知識欲を満たすような読物が、一流雑誌からも、極度に追い出されていて、圧倒的に眼でみるもの――漫画のはんらんである。

 むかしわれわれも漫画を読みふけった。しかしそれは、いわば間食であり、授業のあとの遊戯の時間であった。いまは主食の代わりにおやつだけ、授業なしの遊戯だけである。しかもそれが小学校の上級から中学向けのものまでそうなのだ。

 つまり一億幼稚園化である。

 娯楽は必要である。しかしバランスが崩れてしまっては、頭脳的栄養失調に陥るだろう。要は娯楽の量と、娯楽のあり方の問題である。

 要するに流行語――あだ名というものは、本質を衝いてはいるが、そのもののすべての側面をいい尽くしているものでは、もちろんない。