人がこの地球でどう生きているのか、彼は自分の体で探究しようとしていたのだ。

 この旅で生まれた歌は1980年「文明I、II、III」という3枚のアルバムになっている。

 1977年に生まれた長女の「あみる」さんの名前は、彼が旅をしたアフガニスタンのバンディ・アミール湖にちなんでいるそうだ。

 私は彼の野生の声を求めてやまない旅人感が大好きだった。

 一度テレビ局のスタジオでいっぱい待たされた時に、「ねえ、2人でシルクロード旅したいね!2人でうたってお金稼いで、気ままにさあ」なんて話して、道中の想像をしたりした。楽しいアヴァンチュールの空想!でも2人が危ない橋を渡ることはついになかった(笑)。

「10年続けるぞ!」と言っていた
阪神淡路大震災の支援コンサート

 仕事では何回も会えていた。特に阪神淡路大震災の時は、いろんな避難所で英五さんと一緒にうたった。マイクが1本しかないけど、彼と私では背の高さが全然違う。ビールケースを探してきて、私がそこに乗って同じマイクでうたったこともある。

 英五さんが震災からの翌年から始めた支援コンサート。「10年続けるぞ!」と言っていたけれど、それを果たせずに彼は逝った。でも彼の娘あみるさん、亜奈睦さん、そして英五さん没後にうたい始めた翔馬君が後をつないだ。家族、友達への生きることへの強い思いがみんなを動かした。

『「まさか」の学校』書影「まさか」の学校』(加藤登紀子、時事通信社)

 2006年に公開された阪神淡路大震災を描いた映画「ありがとう」が制作された時、英五さんがうたう「生きてりゃいいさ」がラストテーマソングになった。

 この歌が作られた時のノートに「ありがとう」のタイトルで詩が書かれていたことがわかったからだった。

 震災から11年後にようやく描かれたありのままの震災。この映画のラストに河島英五さんの声が流れてくるのを聞くと、私は涙が止まらない。

 亡くなって何年経っても、懐かしさが変わらない。

 彼の残してくれた体温のような強さは、今も消えない。