今後、どんな作家がブレイクするのか知りたければ、この二度目のブレイクに差し掛かっている作家に着目してみるとよいでしょう。ベテランの域にさしかかり、キャリアの総まとめの段階にある作家に、近々大規模な展覧会が予定されているのであれば、それは復権、またはさらなる飛躍のサインとみてよいでしょう。その美術展に足を運び、その作家がどのような観点から再評価を受けているのか、じっくり観察してみてはいかがでしょうか。
再ブレイクのカギとなる
作品への「親しみやすさ」
作家が二度目のブレイクを果たす際、もうひとつ見逃せない兆候があります。それが、この段階でのブレイクは、美術ファンの域を超え、その支持は大衆レベルへと広がりを見せていくということです。
才能ある作家は、若くしてまず時代の寵児となりますが、このときの人気は、あくまで美術シーンやアートファンといった、いわゆるその“界隈”のなかでの人気です。知る人ぞ知る、玄人向けのオタク人気といってもよいでしょう。
しかし、第二のブレイクの段階では、その人気・知名度は美術ファンの範疇を超え、一般層まで浸透していきます。展覧会を開催すれば、今まで美術に興味がなかった人も足を運ぶようになるのです。
では、なぜ二度目のブレイクでは大衆へとその知名度が浸透していくのでしょうか。筆者は、そのカギは大衆への浸透を果たす際に起こる、作家のアク抜きにも一因があると考えています。
アーティストの生み出す作品は、本来、どれも世界に1点しかないオリジナルであり、強烈な個性や作家の内面が反映されています。しかし作品が人口に膾炙する段階では、印刷物や版画、フィギュア、立体彫刻、オリジナルグッズといった複製が大量につくられることになります。
『芸術の価値とは何か AIが奪い尽くすからこそ、アートに“解”がある』(秋元雄史、中央公論新社)
ところが、これらの複製は、必ずしも作家本人が手掛けるわけではありません。工房のメンバーや外部の委託先といった第三者が制作を担います。もちろん、かれらはオリジナルのコンセプトやイメージを尊重して複製を手掛けようとしますが、それでも、適度にオリジナルの尖った個性や過激な表現が中和されることになります。かわって、その芸術作品の「キャラクター性」が強調され、「親しみやすいアート」へと変質していくのです。
たとえば、草間彌生の初期作品には、幻視体験や精神的な葛藤が色濃く反映されており、観る者に突き刺さるような迫力を与えます。一連のかぼちゃの作品群にも、おどろおどろしく、前衛性に満ちた異様な迫力が宿っています。
しかし、直島に設置されたFRP製の巨大なかぼちゃのオブジェはどうでしょうか。オリジナルに宿っていた禍々しさは薄れ、かわりに牧歌的でどこか楽しげな雰囲気さえ漂っています。そうした「アク」抜けがあったからこそ、より多くの人々が作品に親しみを持ち、受け入れることができたのです。







