その舞台となるのはギャラリーやグループ展ではなく、公立美術館です。美術館は、美術史を編んでいくもっとも強力な装置です。美術館での個展開催は、作家が美術史に自分の足跡を残す重要なファーストステップになります。公立美術館での個展をひとつの大目標としながら、独創性に磨きをかけ、自分自身と徹底的に向き合っていくのです。
時代遅れの烙印を押された
晩年の作家を救うのは?
やがてキャリアの晩年に差し掛かると、今度は生きている同時代の作家よりも、すでに亡くなった物故作家たちと比較されるようになります。作家は、自身の表現を美術史のなかでいかに位置づけるかという課題に直面し、キャリアの総仕上げへと向かいます。なかには、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタといった大規模な国際展などに招聘され、順調に評価を固め、生前から巨匠として富と名声を謳歌できる作家もいますが、かなり少数派です。
むしろ多くの作家は、数十年の活動歴があっても、50代から60代にかけて一度評価が下がる時期が訪れます。それは、加齢とともに、常に流行が移り変わるシーンの最前線に踏みとどまることが難しくなるからでしょう。
作家性が確立するのと引き換えに、時代性を失うのです。つまり流行遅れの作家だとみなされることで、人気が低下する時期を迎えるのです。たとえば、20~30年前の『美術手帖』のバックナンバーなどをパラパラとめくっていると、当時、誌面を賑わせていたにもかかわらず、今ではもう半分引退してしまったのか、現在はシーンから姿を消してしまったようにみえる作家が意外なほど多くいることに驚かされます。
そのまま忘れ去られてしまう作家も少なくありませんが、興味深いことに、一定数は、いったん沈み込んでから再浮上を果たします。そのきっかけとなるのは、美術館やキュレーターたちが「この作家をもう一度掘り下げてみよう」と再評価に乗り出す瞬間です。
そのとき、過去の作品に、新たな視点が加わるのです。作家が一度目にブレイクを果たす際、その人気の源泉は同時代性です。シーンの最前線で刺激的な作品を生み出したことが評価されるわけです。







