中高年には忘れられない女優もいた。宝塚歌劇団出身の北原遥子で、85年8月12日の日本航空ジャンボ機墜落事故に遭い、24歳で死去した。
男優では時代劇によく登場した、工藤堅太郎がいる。
神奈川県高等女学校として
1900年にスタート
横浜平沼高校は、神奈川県高等女学校として1900年にスタートした。昭和に入って神奈川県立横浜第一高等女学校と改称された。横浜のみならず県内各地から優秀な女子生徒を集めていた。
戦前は当然のことながら良妻賢母教育だった。しかし横浜は幕末以来、日本でいち早く文明開化したハイカラな街だった。英語については必修教科とされ、手厚い授業が行われていた。また女学校には珍しく修学旅行が定着していた。
1927年7月には、有志60人が富士登山に挑戦したという記録が残っている。
戦後の学制改革の過程で県立横浜平沼高校に衣替えされ、男女共学になった。ただ、高女がルーツということの名残か、現在でも女子2:男子1の比率になっている(1学年は約310人)。地下1階、地上7階建ての校舎棟と3階建ての体育館棟からなる。粋なデザインで全館冷暖房完備だ。
校風は「自由と進取」だ。教育目標は「人間性豊かで創造力に富み、指導的な役割を果たせる人物を育成する」ことだ。
創立100周年の2000年から始めた「先輩セミナー」というのがある。同様の試みは他の高校でも行われているが、平沼の場合は多彩なOG・OBがそろっており、講師選定に困ることはない。依頼された先輩は、快く母校にやってくるという。
部活動では、女子バスケットボール、女子ハンドボール、男女弓道などが伝統的に強い。文化部ではかるた部もある。
90%が、現役で4年制大学や専門学校に進学する。早稲田大、慶応大、上智大など70以上の大学から指定校推薦を受けている。このため最近は、私学志向が目立っている。







