「三十而立」の「立」の本来の意味は、“礼”という概念を身につけ、家庭、社会、政治生活のすべてにおいて正しく振る舞える、ということです。しかし現代の解釈では、社会的・経済的な自立、すなわちキャリアを確立すること、とされるのが一般的です。
そして、孔子は「四十にして惑わず」と言っていますが、実のところ彼の40代は波乱に満ちたものでした。魯国の内乱が原因で、1度は斉国へ逃れたものの、斉国でも迫害に遭いそうになり、再び魯国に戻りました。しかし、どの国でも要職に就けないまま、40代が過ぎていったのです。
このような不安定な境遇にあったにもかかわらず、孔子が「惑わず」と言えたのは、おそらく精神面で強い自負を持つに至ったからでしょう。この頃、彼は学問に対する信念が深まり、自分の目指すことに対する疑念に悩まされず、外的な混乱にも動じない境地に達していたのです。
心の欲するままに
人生の最終段階
50代の初頭に、孔子はついに願いが叶い、魯国の法務大臣にあたる重要な官職に任命されました。不安定な政治に揺れる魯国の体制改革を目指し、自身の政治理念を実行に移したのです。しかし、55歳の時にその改革があっけなく失敗に終わり、孔子は弟子たちを連れて魯国を去り、14年にわたる亡命生活が始まりました。
孔子の言った「知天命」には、おそらく二重の意味合いが含まれています。1つは、天が自分に課した役割や責任を自覚すること。もう1つは、自分の限界と、自ら制御できない運命を冷静に受け入れることでしょう。彼は自らの使命を果たすために精一杯努力する一方で、運命によって定められた結果を平然と受け入れたのです。
その後、孔子は自らの政治理念に共感してくれる主君を求め、諸国を放浪していましたが、望みは叶わず、68歳で魯国に帰りました。
「耳順」についての解釈は学者によって分かれますが、多くの場合、反対意見に対しても、怒ったり反発したりせずに素直に耳を傾けること、と解釈されています。言い換えれば、外の世界に対して、完全に精神が開かれている状態だと言えるでしょう。
孔子は73歳でその生涯を閉じましたが、彼が語った人生の最終段階とは、心の欲するままに生きるという、自由な精神状態でした。







