モテやルッキズムとは
対極に位置する東洋思想
齋藤:結局、年を取れば、いつかはモテなくなることが誰にでも訪れます。年齢的には、40歳以降の男性がモテる可能性はかなり低い。このモテなくなるというオスにとっての生きがいが失われることが、寂しさの感情につながるのだと思います。だからこそ、昨今のチョイワル親父はアンチエイジングに向かうのでしょう。
東洋が築き上げてきた精神文化は、中年危機(ミドルエイジ・クライシス)の時期にこそ必要不可欠です。心の中に東洋的な精神文化を宿していれば、情緒的に安定が保ちやすい。例えば、老荘思想でもブッダの教えでも武士道でも構いません。東洋思想が育んだ身体文化や精神文化を自分も継承しているという感覚があると、心の中に余裕が生まれ安定感が出てきます。
かの福沢諭吉は文明開化のリーダーですが、死ぬまで居合をやっていたという話もあります。
「文明開化じゃないの?武士、やめてないではないか」とツッコミたくなりますが、それは野暮というものです。福沢諭吉の身体の基礎は武士であり、東洋思想だったのです。
居合は東洋で確立した身体文化であり精神文化です。東洋思想を拠りどころにすれば、西洋的なアンチエイジングという思考に踊らされることもないでしょう。
このモテないというネガティブな感情をまったく一顧だにしないのが東洋思想です。東洋思想というのは、まったくルッキズムとは無縁な世界です。人間の幸福感のありように、モテという概念をまったく持ち込んでいないのが東洋思想のいいところです。
pha:(笑)。
齋藤:ここまで外見も栄達も幸福にはまったく関係ないと一貫した世界観は、東洋思想ならではです。ましてや、モテなければモテないほどいいぐらいの清々しいまでの世界観は、美貌や若さといった視覚重視の現代社会においては、非常に貴重な視点です。
《巧言令色、鮮し仁(学而第一の三)》
(現代訳)言葉が巧みで顔つきもにこやかな人間は、徳の少ないことがよくあるものだという意味。
《子曰く、吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり(子罕第九の十八)》
(現代訳)孔子は言った。「私は、美しい異性を好むのと同じくらい、徳を好む人というものを見たことがない」。







