役職定年を迎える60歳は
老荘思想に出会う良いタイミング
──しかも若さだけではなく、日本の男性の多くはサラリーマンで管理職を経験すると、どうしても権威とか肩書とかを「手放す」ことに対する恐れが潜在的にあるようです。
齋藤:肩書がなくなっちゃうと寂しい存在になっちゃうって恐れが誰にでもあるはずです。
誰にも老子に馴染むタイミングというのがあります。例えば管理職として将来的に社長を目指して会社勤めをしているとしたら、50歳で老子に馴染むのは難しいでしょう。今はまだ出世街道に乗っていて、加速しているタイミングですから、まだ老子と出会うタイミングではないかもしれない。
60歳ぐらいになると還暦を迎えて、ほとんどの管理職は、役職定年を迎えます。そうなると再雇用されるとしても一度は定年して、すべての役職を解かれます。金銭的にも収入が3分の1ぐらいに下がってしまうことも考えられます。
例えば年収900万円だった人は、役職から外されて年収も300万円で、同じ組織で働き続けないといけなくなる。この時に、どう思うでしょうか。心穏やかに会社から提示された条件を受け入れることができるでしょうか。この時点で、結構プライドが傷つくと思います。そこで老荘思想を拠りどころにしても遅くはありません。
老荘思想は、プライドというものがいかに無意味かを説いているところがあります。そもそもプライドは、他人に対して過剰に意識することで、自分を大きく見せようとする心の動きです。言い換えれば、総合格闘技でいうマウントの取り合いのようなものです。老荘思想はそのマウントを取るのが無意味だという思想ですから、日本の社会では60歳ぐらいのタイミングというのが、いろいろなプライドを奪われるような時期でもあるので、心の安らぎである老荘思想が沁みるのかもしれません。
老荘思想に限らず、東洋思想のよさというのは、誰も寂しそうではないところです。「ひとりであること」に安らぎすら感じている。いわば孤高の存在です。隠遁している老子からは「あのおじいさん、すごい寂しそう」という雰囲気は微塵も感じられません。孤独という言葉があんまり似合いません。現代の日本人は孤独を恐れすぎているのかもしれません。本当は「孤独」ではなく「孤独感」に脅えているのです。







