要望が特にないというからそのままにしていたら、「うちの上司は部下が困っていても助けてくれない」といった噂を流されているのを知った、という人がいる。
「何か要望があったら言ってくださいと言ったとき、『べつにありません』って言ってたじゃないか」と戸惑うわけだが、それは相手の言葉面しか気にしていないからだ。
「べつにありません」と口では言っても、じつはちゃんと要望があったのだ。
言わなくても、日頃の様子から汲み取ってほしいと思っている。そこが何ともややこしいし、面倒くさいところだ。
これは、まさに「甘えの心理」の問題である。それが強すぎることによる。あるいは、屈折した甘え欲求を相手に向けているとも言える。
「相手は汲み取ってくれるはず」という甘え
甘え理論を提唱した精神分析学者の土居健郎は、甘えの心理的原型は乳児期に求められ、「甘えの心理は、人間存在に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることであると定義することができる」(土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂)という。
つまり、親と子といえどもけっして一心同体ではなく、切り離された別々の個体だという厳然とした事実を受け入れがたく、一体感の幻想にすがろうとする心理が、甘えの基礎になっているというわけだ。
そして土居は、乳房をくわえて放さないとか、それを咬むといった乳児の憤怒は、攻撃本能のあらわれには違いないが、単純な攻撃本能の発現ではなく、乳児が母親から拒絶されたと感じるために、その反応として攻撃本能が動員されるのだとする。つまり、乳児の憤怒は、依存欲求の不満に対する反応だというのである。
いわば甘えというのは、個と個が分離しているという冷たい現実を受け入れたくないという思いから心理的一体感を求めることである。
心理的に一体なのだから、わざわざ口に出して言わなくても、わかってくれて当然、と思っている。だが、そうした期待が空振りに終わると、「裏切られた思い」に駆られ攻撃的になるわけだ。







