考えが行き詰まっても
朝になれば名案が浮かぶ

 面倒な問題があって、みんなでいろいろ話し合っても、解決策があらわれない。一同こまっていると、スコットは言った。

「いや、くよくよすることはない、あすの朝になれば、自然に名案があらわれるさ……」

 口ぐせのように、そう言っていたそうで、それがよくその通りになって、まわりを感心させた、というのである。

 夜いくら考えても、うまくいかないことも、朝になれば、おのずと名案が浮かぶものだということを信じていたのであろう。

 ドイツのヘルムホルツ(Helm holtz)は有名な生理学者・物理学者である。その学問的業績についてはまったく不案内であるが、ただひとつエピソードを覚えている。どこかで読んだことに違いないが、その本はすっかり忘れた。

 ヘルムホルツは、朝、床の中で論文を書いた、というのである。“何年何月何日、朝、床中にて”と記された論文がいくつもある、という。

 哲学ならともかく、自然科学の論文をベッドで仕上げるというのが珍しい。人々が噂にしたのも無理はない。朝飯前の論文だったわけだが、後世に語り伝えられる偉業をのこした。

 こうして、私の朝の思想は少しずつふくらんでいたが、あるとき、決定的なことばに出会った。

 菊池寛の文章を読み散らしていたときである。

「私は、夜など、一行だって書こうと思わない」というのである。

 菊池寛は当代切っての流行作家である。一般の文士といわれる人たちは、すべて夜行派で夜にならないと仕事をしない人たちばかり。

 そういう中で、一切、夜の仕事をしない、というのは思い切ったものである。それを天下に公言するのはたいへんな勇気である、と感銘した。

 それまでいろいろ耳にし、目にした朝の考えが、この一句で結晶したかのように思った。夜の勉強、仕事はいっさいしないことにする。早く寝て朝に期待するのである。

 菊池寛のひとことが、私にセレンディピティ(編集部注/思わぬものを偶然発見する力。幸運を招き寄せる力)をもたらした。その偶然をありがたいものに思っている。