かつて人類は夜から
1日を始めていた?

 仏教では、命日の前の晩を逮夜というが、やはりクリスマス・イヴのイヴと同じように、もとは当日であったのが、日付変更があとへずれたために、前夜になってしまったのであろう。

 暦法の変更で1日の始まりを、夕方から早朝へ切りかえたために、かんたんに切りかえられないことばが少し混乱をした、というわけであろう。

 人間の生活も、もともとは、夕べ夜から1日が始まる夜型が普通だったのかもしれない。朝型は新しいスタイルによっておこった新しい生活だったのである。

 それが、いまもつづいている、というのは、文化の持続性を物語るものとして注目しなくてはならない。夜型が伝統的、朝方(型?)は進歩的だったのである。朝型への移行はきわめて緩慢にではあるが、すすんでいるように思われる。

書影『乱読・乱談のセレンディピティ』(外山滋比古、扶桑社)『乱読・乱談のセレンディピティ』(外山滋比古、扶桑社)

 私の朝型生活の発見を、月光文化から日光文化への転換のごく小さな1コマであると考えることができるように勝手に考えている。

 ひとの一生を考えてみても、はじめから終わりまで、夜型というのは少ないのである。若いときは、徹夜を苦にしなかった人が、年とともに夜に弱くなり早々と寝てしまう。

 その代り、朝は早く目がさめて困る人がふえる。深夜放送が人気をあつめる。それが自然の理に適っているのかもしれない。

 私自身、若いときは、やはり、夜型であったような気がする。ただ、年をとる前に、朝の大切さに目覚めて、努力によって朝型に切りかえたのだ。

 老年を待たず、朝の時間の大切さを見つけたのは、旧暦から新暦への切りかえで、やはり、ひとつの発見である。