明日という単語には
朝の意味も含まれる

 あるときぼんやり考えていて、「あした」ということばに“朝”と“明日”の2つの意味のあることに興味をいだいた。

 なぜ、今日の朝でなくて、明日になるのか。しかるべき本を調べればわかるかもしれないが、あいにくそういう本がない。辞書を見ても、それには触れていない。避けているのか、と思う。

 似たようなことは「ゆうべ」でも見られる。ゆうべは夕べ、夕方のことであるとともに昨夜のことも指す。今夜と昨夜が同じことばであらわされているのはおかしいではないか。いくら昔の人がのんきであったとしても、こんなことを許すはずがない。

 おもしろいことに、英語でも、そっくりのことが見られる。しかも、いっそうはっきりした形であらわれているのを見つけた。

“今夜”のto-nightに対して“今朝”のことをto-morrowとは言わない。to-morrowは“明日”のことになる(morrowは朝の意)。to-nightは今夜でto-morrowが今朝ならいいがそうではなく、明日になってしまうのはなぜだろうか。

 シロウト考えであるから、正しいという自信はないが、かつてのある時代に、1日の考え方が変わったために、こういう不具合(?)が生じたのであろうと推理したのである。

 どういうことかというと、1日が朝からではなく、ひる、あるいは午後から始まり、翌日のひるに終わると考えると、このto-nightとto-morrowが別の日になることが納得できる。

 1日は、きょう(to-day)(dayはひるの意)、to-night(夜)、to-morrow(朝)で1日をなしていたのである。

 ひるに始まり、ひるに終わる1日である(to-というのは名詞の第三格を示し、名詞を副詞化するもので、それ自体の意味はない)。つまり、1日はひる下がり夕べから始まり、朝を経て、ひるで終わるのが1日であった。

 おそらく太陰暦の考えであろう。太陰暦では、ひる、ひる下がりで日付が変わる。夕方夕べで1日が始まるのである。朝はそのあとで、同じ日だと考えられていたのだろう。ひるまでで1日は終わる。

 それを今も伝えるのが、クリスマス・イヴである。もともとクリスマス・イヴは、クリスマスそのものであったが、1日が夜中から始まるようになって、前夜になってしまったのである。

 その証拠(?)に12月25日の夜はクリスマスを祝わない。