ルールの逸脱が起きても
相手の真意は読み取れる
例えば、こんな会話。
A 「コーヒー飲む?」
B 「明日ね、出張で朝が早いんだ」
Aはイエス・ノー疑問文を発しているが、Bはそれに答えず、質問とは無関係なことを答えている。つまり、関連性の公理に違反しているわけだ。これは何を意味するのだろうか?
グライスが行なったのは、「4つの公理は破られることがあるが、あえて違反することで話者は何かを伝えようとしている」という説明だ。
先述の会話に沿って考えてみよう。Bの意図は明確だ。コーヒーにはカフェインが含まれており、飲むと目が冴えて眠れなくなる。ところが翌日が早いので、早く寝なければならない。よって、コーヒーは遠慮したい。これくらいは僕たちは瞬時に読み取れる。
では、なぜはっきりと「いいえ」とか「いらない」と言わないのだろうか。それは、あまりにはっきり断ると角が立つため、相手に配慮をしたからだと考えられる。つまり、断りたいけど波風は立てたくなかったのだろう。
なぜ僕たちがこういった推論をできるのかというと、Bが「相手の発話と関連性のあることを言え」という関連性の公理に違反したからだ。普段であれば守っているルールを破っているのだから、そこまでするほどの動機がBにはあるはずだ。
従来、Bの意図がわかる理由は「文脈から読み取る」くらいのレベルでしか説明されてこなかった。ところがグライスの4つの公理が提案されることで、もっと精緻な議論ができるようになったといえる。
情報量ゼロの文章に
意味を持たせるトートロジー
グライスを習った講義の期末テストで、こんな問題が出た。
「それはそれ、これはこれ」「知ってる人は知ってる」のように、一見何の情報も与えていないような表現が成立するのはなぜか。答えよ。
面白い問題である。こうした形式を「トートロジー」というが、確かに「AはAだ」なんて、当たり前すぎて言う必要もない。情報量はゼロである。しかし現実には、こうした表現はありふれている。







