トートロジーは日本語に特有というわけではなく、ほかの言語でも広く見られる。例えばWar is war.という表現は「戦争とは残酷なものだ」、Boys are boys.は「男の子というのはわんぱくなものだ」といった意味になる。

 英語以外にもこのような表現は存在する。フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが手がけた映画『Une femme est une femme(女は女である)』もトートロジーだ。面白いことに、これが各国で公開された際のタイトルもそれぞれトートロジーの形式を保っていた。

英語:A woman is a woman
ドイツ語:Eine Frau ist eine Frau
スペイン語:Una mujer es una mujer

 ではなぜトートロジーが成立するのだろうか?相変わらずアホだった20歳の僕は、90分の試験時間中、何の答えも浮かばなかった。しかし今なら、皆さんもこの問いの答えはわかるだろう。

 もう一度協調の原理を見返してみてほしい。これらの表現は「必要とされるだけの十分な情報を与えよ。また、必要以上の情報を与えるな」という量の公理に違反している。だからこそ、「AはA」「Aである人はA」というような形式から、文面上は表現されていないような意図が読み取れるわけだ。

 例えば「それはそれ、これはこれ」なら「あるものと比較対象としている別のものはまったく事情が異なるので、同一視すべきではない」、「知ってる人は知ってる」なら「事情通の間では有名(なので、知名度は低いが実力は高い)」といった意図が伝わる。

あえて量の公理を破って
自己プロデュースに成功した叶姉妹

 協調の原理は、さまざまな場面で使えるので覚えておくと結構面白い。日常で気になった会話があったら、「これはどの公理から逸脱してるんだろう?」と分析して遊べるからだ。

 例えば、タレントの叶姉妹の恭子さんは、ある音声番組で好きな食べ物を聞かれてこう答えていた。

恭子 「おいしいものです」

 ある食べ物が好きな理由は、たいていの場合はおいしいからだろう。それから、おいしいものが嫌いという人はまずいない。その意味で、この発話は明らかに量の公理から逸脱している。