自分たちの経験を上手に交えながら議論し、「そうは言うけど、こうも考えられる」と言えるのが、高齢者のたしなみというものです。
高齢になると、前頭葉の老化のため頑固な人が意固地になる、疑い深い人が妄想的になるといったように性格が先鋭化し、思考の硬直化が進みやすくなります。
その結果、もともと左翼的な考えだった人がゴリゴリの左翼になったり、右翼的な人がゴリゴリの右翼になったりするという現象がよく見られます。
右の人と左の人、どちらにもそれなりの言い分があります。右寄りの雑誌と左寄りの雑誌のどちらを読んでも、それぞれに言いすぎと感じられる論調がある一方で、納得できることも書かれています。
問題なのは、いったん右になると右の意見、左になると左の意見しか聞かなくなることです。
せっかく長く生きてきたのに、知恵がうまく働いていないように感じます。これが絶対に正義だとか、あるいは絶対に悪だといえるものなど、世の中にはそうそうありません。
一味違った切り口で
意見を述べる高齢者であるべし
「脱原発すべきだけど、電力が不足すると困るから、事故を起こさないかぎりは原子力発電を容認する」と言う人や、「右を自認しているけど、日本人が貧しさや飢えに苦しむのは許せないので、福祉だけはしっかりやってもらわなければいけない」と言う人がいてもいいと思います。
いまの日本では、かなり左の立場であっても、天皇陛下を追い出せとか、共産主義革命を起こそうと考えている人は、過激派を除けばまずいません。日本共産党でさえ「憲法を守れ」と言っているのですから、象徴天皇制を否定していないことになります。
一方で、人工妊娠中絶を行っているクリニックが、保守派の団体に襲撃されるといった事件がめずらしくないアメリカなどとくらべれば、極端な考えをもつ右の人もずっと少ないといえます。
つまり、右と左の距離はそれほど大きくないのに、双方がほとんど歩み寄ろうとしないのがいまの日本の状況です。







