ちょうど中国語と日本語の関係に当たるだろうか。日本語は中国の文字である漢字を多用する。しかも中国語を多く取り入れて発達してきた。しかし言語学的には両言語は別物である。
違う言語は違う民族意識を育てがちである。ペルシア人はペルシア人としてのアイデンティティーを守り、アラブ人となることはなかった。
イスラム教徒の中でも異端な
シーア派のイラン人
イラン人をイラン人たらしめている要素の1つは、すでに強調してきた歴史意識である。自分たちは、偉大な帝国の継承者であるとの認識である。そうして、もう1つの感情が、異民族の侵略を受け続けてきたとの被害者意識である。この2つの意識が表裏一体となってイラン人のアイデンティティーの芯となっている。
イスラム教シーア派の信仰が、この歴史意識と被害者意識を、そして周辺のイスラム諸国とは違うというイラン人の独自意識をさらに強めている。ここでは、イランとシーア派の関係について、より詳しく語りたい。
イスラム教は大きく分けてスンニー派とシーア派に分かれる。信徒の総数に占めるそれぞれの人口的な比率は、スンニー派が9割でシーア派が1割とされる。イスラム教徒全体で見れば、圧倒的にスンニー派が多い。
しかし、イランは例外である。国民の大半がシーア派を信仰している。イスラム教徒は、イスラム教を創始した預言者ムハンマドの死後、その後継者をめぐってスンニー派とシーア派に分裂した。後継者をアラビア語ではハリーファと呼ぶ。日本では通常カリフと表記する。初代カリフとなったのはアブーバクルであった。2代目はオマル、3代目はオスマン、そして4代目はアリーという後継順となった。この順番をよしとする人々が多数派のスンニー派である。
スンニー派への不信が
生まれた歴史的背景
ところがシーア派は、指導者の系譜はムハンマドからアリーに直接つながるべきであったと考えている。シーア派の解釈によれば預言者ムハンマドは娘婿のアリーを後継者と決めていた。アリーに先駆けてカリフとなったアブーバクル、オマル、オスマンは正統な指導者ではないという解釈である。







