したがって、初代から3代目までのカリフは正統な指導者の地位を強奪した邪な人間と見なされる。アリーはカリフになったものの、シリア総督の地位にあったムアウィアと対立する。この時にアリーを支持した人たちはアリーのシーア(党派)と呼ばれた。シーア派の語源である。
アリーが暗殺されると、ムアウィアは自らをカリフと称して現在のシリアの首都ダマスカスにウマイア朝を起こした。これに反対するシーア派は、アリーが没した後も、イスラム教徒の正統な指導者の地位はアリーの血筋に引き継がれたと考えている。
ちなみに正統な指導者をシーア派はイマームと呼ぶ。ウマイア朝とシーア派の対決は、680年イスラム暦のムハッラム月の十日目にイラクのケルベラの地でクライマックスを迎える。アラビア語で十はアシュラという。それゆえ、この日はアシュラとして知られる。
アリーの息子フセインの率いる少数の勢力は、ウマイア朝の大軍に囲まれて全滅する。アリーは預言者ムハンマドの娘婿であるので、このフセインはムハンマドの孫に当たる。ムハンマドの、そしてアリーの血統のイマームをウマイア軍は惨殺した。シーア派が忘れることのない事件である。
何度も侵略されてきた歴史が
被害者意識と猜疑心を育てた
シーア派の世界観は、イラン人の歴史認識にマッチしている。つまり、シーア派の世界観とペルシアの歴史観がイラン人の心理の中で融合しているのだ。正義を掲げ大義を謳いながらも、ウマイア朝の大軍に囲まれて殉教したフセインにイラン人の多くは自国の姿を重ね合わせる。
スンニー派諸国に囲まれ、何度となく侵略の対象とされたイランの歴史は、ケルベラでウマイア朝の大軍に囲まれ全滅したフセインの殉教そのものである。やがてマフディー(救世主)が現れて正義の世が実現すると教えるシーア派の思想のように、ペルシアは侵略されても征服されても、やがて文明の力で立ち上がりイラン人としてのアイデンティティーを守り続けてきた。
ペルシアの栄光と苦難の歴史は、この国の人々の心理を濃く深く染めている。
もう一度強調しておこう。その心理の1つの特徴は、自分たちが宇宙とは言わないまでも、世界の中心という意識である。ヨーロッパ人の描く世界地図の果ての海上の島国で静かに隠居生活のような鎖国を300年も経験して満足していた日本人には想像の及び難い意識である。日本列島の住人とは違う感覚である。
『イランとアメリカ、そしてイスラエル「ガザ以後」の中東』(高橋和夫、朝日新聞出版)
このペルシア人の歴史認識を「世界の中心」史観とでも呼んでおこう。「世界の中心でイスラム革命を叫ぶ」的な現在のイラン外交の心情的な背景である。国際社会でイランが大きな役割を果たすべきだとの心情と信条は、革命前の王制の時代から、この国では強かった。
元駐イラン大使を務められた齊藤貢氏によれば、アメリカ大統領トランプのスローガンが「MAGA(Make America Great Again=『アメリカを再び偉大に』)」なら、イランは「MIGA(Make Iran Great Again=『イランを再び偉大に』)」だ。
そして、もう1つが被害者意識の強さであり、外国に対する猜疑心の強さである。アレクサンドロス、アラブ人、モンゴル人など、次々と外国の侵略者に国土を蹂躙された経験を重ね、その後も周辺の遊牧民の侵略を味わってきた。
こうした歴史が、周辺に対する猜疑心を、そして自らが被害者であるとの意識をイラン人の心理に刷り込んできた。何度も何度も侵略を経験してきた人々には当然の心理かもしれない。







