圧倒的な体験価値を提供する場所に顧客は足を運ぶ
出版や報道を担うメディア産業も、全く同じ病を激しく患っている。「読者のために」という美しい大義名分を掲げる新聞や週刊誌は、例外なく部数を落とし、社会的な影響力を失い続けている。読者が真に知りたい事実、直面している課題に対する本質的な答えを提供するのが情報機関の存在意義である。
しかし現実の編集会議で交わされるのは、読者不在の内向きな議論ばかりである。
「自社メディアの伝統的な手法ではない」「長年築き上げた社風から外れる」「新しい試みはリスクが高い」。保身と過去の栄光にすがりつき、変革を試みる人間の足を全力で引っ張る人間が組織の中心を占拠している。読者の切実な欲望や社会の激変から目を背け、社内政治に夢中になる姿は滑稽でさえある。
AIが言語を作る能力において驚異的な進化を遂げた現在、文字を扱う産業を取り巻く環境は壊滅的な危機に瀕している。膨大な情報を瞬時に処理し、論理的な文章を構築する能力において、もはや大半の人間は機械に太刀打ちできない。情報を単に整理して伝えるだけの仕事は、完全に駆逐される運命(さだめ)にある。
消費者、読者は常に残酷だ。同情や義理で商品を購入したり、記事を読んだりすることはない。
圧倒的な体験価値を提供する場所にのみ、無言で足を運び、お金や時間を支払う。アサヒスーパードライを定価購入する行動も、目的もなく複雑な迷路を歩き回る行動も、根底にあるのは自らの立場で設計された空間に対する深い共鳴である。
商品単体の性能や機能に、もはや決定的な意味はない。自社の伝統や組織の都合など、消費者にとってはゴミほどの価値も持たない。
自己否定を恐れず、常に変化し続ける適応力。厳しい現実を直視し、人々の心に触れる体験を作り続ける者だけが、先の見えない未来を生き残る権利を手にすることになる。








