「冷たさのエッセンス」を宿した美

企業の中から問い続ける、デザイナーの「美意識」の価値――Ambientec〈Cachalot〉・松山祥樹YOSHIKI MATSUYAMA
1987年生まれ。2011年よりAtelier Yoshiki Matsuyamaとして活動。社会や暮らしの営み、自然の美しさといった要素から紡ぐコンテクストを軸に、静かで温かみのある象徴的な造形表現によって、プロダクトデザイン領域を中心とした多様なプロジェクトを手がける。並行して2012年より三菱電機統合デザイン研究所にてインハウスデザイナーとして従事。現在は主幹技師長として主に家電領域全般のプロダクトデザインに関するクリエイティブディレクションを担う。法政大学非常勤講師。
Photo by YUMIKO ASAKURA

 松山が大切にするのは、一貫して「美しさ」だ。

「自分のデザインがどんな形容詞で表現されたいか、と思ったとき、“面白い”とか“かっこいい”より、”きれい”や”美しい”がいい。機能から独立してただ存在しているときも“美しい”か。それがあることで空間が豊かになるか。モノがあふれた世の中で、新しく存在させる意味があるか──。そんなところを大事にしています」

 一方で、「美しさは100%主観」とも言い切る。自分自身が思い描く美しさをあえて言葉にすると「冷たさのエッセンス」が欠かせない、と松山は言う。

「Cachalotもcollinetteも、発想の原点は自然美です。そして、『自然が美しい』と感じるとき、そこにはある種の過酷さ、人を拒絶する冷たさが含まれていると思っています」

 確かに、雪山や深海、断崖絶壁のような過酷な自然は、圧倒的な美しさとともに、人をたやすく寄せ付けない荘厳なオーラをまとう。

「例えば、澄んだ水や清らかな水をイメージしようとするとき、僕は冷たい水を想像します」

 冷たさは、時に心地良さとは相いれない。そして、日用品としてのプロダクトは、本来ヒューマンフレンドリーであることが求められる領域だ。その中にあえて冷たい緊張感を残すこと。それが結果として、彼のデザインに強い輪郭を与えているのだ。

 一方、実体を欠く「美しい言葉」には警戒を抱く。

「近年、プロダクトを扱うデザイナーにも、ビジョンやパーパスといった概念のデザインを求める動きが広がっています。しかし、美しい言葉は、それを裏打ちする実体があってこそ意味を持つ。造形を通じて積み重ねてきた感覚や判断の裏付けがないまま、言葉だけをもてあそべば、それは空疎なものになる。そして、自分の軸さえ見失うことになりかねません」

 ビジネスの論理の中で「美意識」を扱うのは難しい。しかし、松山のデザインとの向き合い方は、それを説明不能なものとして手放す前に、外部につながる回路を通じて別の価値に転換できることを示しているようにも見える。

 造形を窮めることは、単に美しい形を生み出すことではない。何を「良い」とするかの基準を自らの内側で磨き続ける営みでもある。数値に換算できなくとも、感性を信じて問い続けていく。そうした実践こそが、今、デザイナーに求められているのかもしれない。