「この臆病者」ウソまみれの人気記者への一言にスカッと…でも筆者はモヤモヤが止まらない〈風、薫る第53回〉

「YOU ARE A LOOSER」(この臆病者)

 ながらくくすぶっていたシマケンが、なぜ急に人気の記事が書けたのか。

「自分の作品じゃないから」

 自分の作品じゃないから良心が咎めることもなく、世の中が喜びそうなことを書けてしまう。つまり、シマケンには流行りを察知するセンスとそのとおりに書ける技術はある。だが彼の書きたいものとそれは違うだけ。渾身の小説はすぐにボツにされるが、夕顔の記事はどんどん書けといわれる。シマケンは自分のやりたいことと世の中が求めていることの乖離に絶望する。

 いったいシマケンはどんな小説を書いているのだろう。

 例えば、チェーホフの『かもめ』のトレープレフの書く観念的なものであろうか。そのため恋人ニーナから高評価を得られない。戯曲には恋愛がなくちゃ、と言われてしまうのだ。なんてことを思ったら、佐野晶哉さんにシマケンの扮装で『かもめ』を演じてもらいたくなった。

 話を戻そう。

 シマケンの記事には恋愛がある。

 夕顔は雪国の出で4人兄弟の長女。家のために遊女になり、幼馴染と泣く泣く離れ離れに……。槇村は「この記事は、女郎の境遇の歪さを読みやすく、たっぷり情に訴えている。みんなこれを読めば、心中した女郎を助けたくなる。遊郭に文句の1つでも言いたくなる。実によく書けてるよ」と高評価。

 悲恋ものを装いながら社会批判をしているというのだ。

 それでも真面目なシマケンは事実とのあまりの違いに腰が引けている。

「YOU ARE A LOOSER」(この臆病者)と槇村。

「いっぺん書いたなら腹くくれよ。物書きなら、自分で書いたものは、自分で引き受けるしかねえだろう。書かれた本人だって無傷じゃ済まないんだから」

 これが図星だったのだろう。「槇村のくせに、槇村のくせに物書きみたいなことを言うな」としか言い返せない悔しいシマケン。

 どんなものでも自分のペンから生み出された言葉には責任を持たなくてはいけない。ここへ来て、ぐっと「書く」ということの哲学が深く書かれている。

 看護よりも実感を伴って聞こえるのは、作家論だからであろう。たいてい、ドラマや映画で描かれる作家の話にはリアリティがある。その一方で思い入れが強すぎて興味のない人には響かないということもあるのだが。ある意味両刃の剣である。