これらの場面に共通する特徴は、「目の前の状況」と「目指したい状況」の間に開きがあるということです。落差が大きければ大きいほど、今の状況に対してますます「足りてない」という焦りが生じます。現状を「足りていない」「満たされていない」「届いていない」ものとして認識してしまうことで、その現実を突き付けられたときに「焦り」が生み出されるのです。

 そして、落差を埋めようとするために、「こうしなきゃ」「こうさせなきゃ」「こうならなきゃ」「こうあらねば」という気持ちが一層強くなります。

 コピーライターの中川諒氏は、この落差に対して生まれる感情を「あるべき姿の呪い」(図)と呼んでいます(中川諒『いくつになっても恥をかける人になる』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年)。また、同様の状況を赤木和重氏は「“ちゃんと”のノロイ」と呼んでいます(赤木和重『子育てのノロイをほぐしましょう 発達障害の子どもに学ぶ』日本評論社、2021年)。

図:「あるべき姿」という呪い同書より転載 拡大画像表示

「ちゃんとしなきゃ」は
大人も子どもも追い込む

 学校現場には「こうあるべき」や「ちゃんとさせなきゃ」という空気感が常に漂っています。特に、授業参観や研究授業、運動会などの発表の場においてはある程度の「見栄え」を意識せざるをえないがゆえに、教師側が「こうでなければ」や「ちゃんとする」といった呪縛にとらわれる場面が多くなります。

 運動会の練習の際に、熱心さを通り越して子どもたちを精神的に追い込むような指導が行われていることはありませんか?こうした光景は「あるべき姿」にとらわれがちな教師の焦りから生まれます。

 前出の赤木氏は、「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんとさせなきゃ」という気持ちは次第に過剰になり、いつの間にか「正義」となり、充満して「呪い」に化けると言います。

「正義」とは、「私の指導は正しい」「私の指導は間違っていない」という言い方で自身の指導を正当化する気持ちにつながります。ところが、「正しい指導なのだから」だという一方的な思い込みがまた、大人自身を追い詰め、子どもも追い込んでいきます。