「いじめ対策」で分断された
クラスを修復するのは誰?

 私自身も、自らの感情をコントロールするエネルギーを遥かに越えて、学校現場にさまざまな案件が五月雨のごとく「降り続く」のを日々、実感しています。

 たとえば、前屋氏も例として挙げていた「いじめ対策」についていえば、他校でいじめに関する案件が出ると、すぐに教育委員会から「いじめに関する調査」を行うような通知がきます。一人一人に聴き取り調査をするため、その時間が必要になります。

 またアンケートの項目には「あなたは誰かから嫌なことを言われたり、されたりしたことはありますか」のような、子どもたちの関係性を疑うような内容が盛り込まれ、それを担任自らが伝えなければなりません。当然、教室内の雰囲気に影響をもたらします。中には「何も悪いことしていないだろうな」という詰問だと受け取る子どももいるでしょう。

 こうして「アンケートを取った」という事実だけが残ります。さらに、毎学期行われるようになり、結果として「こまめにアンケートを実施しています」という形式や要件を満たしているための仕事が残ります。

 本来のいじめ対策は、アンケートを取ることで終わりではありません。

 いじめ対策の本質は、良質なコミュニケーションを構築し直すことです。そして、困っている子どもが「困っている」と言えないような状況があれば、それをいち早く察知し、即座に解決できるだけの人的環境を日ごろから整えておくことこそが最優先であるはずです。単なる表面的なアンケートではなく、「本来すべき取り組み」や「本当に目を向けなければならないこと」を見極める作業が欠落していると感じているのは筆者だけでしょうか。

 いじめのアンケートはほんの一例にすぎません。学校現場には、この他にも「○○が望ましい」「○○することが求められる」がどんどん降ってきます。しかも、これまでの事案が何も解消されないために、新しいことがどんどん膨れ上がっていきます。

 まるで、降り注ぐ「最優先」や「望ましい」の雨に打たれながら、瓦礫が積み重なったままの状況から逃げられない、そんな心境です。こうして「子どもと向き合う」という本来の仕事にかける時間がどんどん削られていきます。