といっても、短歌を始めるにあたって、特別な道具を新たに用意する必要はありません。楽器の演奏や絵を描くこと、スポーツなど何かしら趣味を始めようとするとき、道具を揃える必要がありますよね。
その点、短歌の道具といえるのは、日本語や型。あとはせいぜい、紙と書くものくらいでしょう。つまり、日本語を使って日々を過ごしている人であれば、すでに道具が揃っている状態。楽器があって、音を出せるのと同じ状態といえるのです。
今日から誰でも始められる、それこそが短歌の大きな魅力なのです。
短歌として形に残すことで
当時のエピソードを思い出せる
スマートフォンひとつで、気軽に写真を撮ることのできる時代です。カメラロールが、子どもの写真で埋め尽くされている人は多いでしょう。成長記録という意味でも、写真はとてもすてきな残し方だと思います。ただし、写真で残すことができるのは、どうしても“目に見えるもの”に偏ってしまいます。
そのときどきで感じたこと、“心の目”に映ったものは、自分の言葉でしか残すことができません。そしてたった三十一音の言葉でも、形に残しておくことで、あとあと読み返したときにそれがフックとなって、何百文字、何千文字分もの情景や、その背景にあるエピソードを思い出すことができる。それがシンプルな言葉の力だと思います。
どんな人も、子どものときは自分が主役で、主観的に生きているものです。親になって育てる側に回ってみると、自分自身の子ども時代を客観的に捉えることができます。
砂場で遊んだり、絵本を読んだりなど、日常の何気ない行為を通して、自分の親と、親になった自分を重ね合わせることも多いでしょう。そうやって心に浮かんだことは、当然ながら写真には収めることができませんし、子どもの成長とともに忘れてしまう可能性も。
子育てについて、SNSで発信している人も多いですよね。写真に短い文章を添えたり、あるいは文章のみ、写真のみだったり。いずれにしてもSNSにアップしたいと思うからには、自分の心が動いた瞬間を切り取っているはずで、それこそ短歌の種といえるでしょう。







