実は組織の中では、このようなことは決して珍しくない。

 現場に近い人ほど、その部署の苦労が見える。

 だから、苦労している人を助けたい。

 仲間を守りたい。

 目標を達成させてあげたい。

 そう思うのは自然な感情だ。

 問題は、その善意が判断を曇らせることである。

 私は製造部門を見ていた。しかし、会社全体を見ていなかった。

 そこに、稲盛さんとの決定的な違いがあった。

経営者は「部分最適」ではなく
「全体最適」を考える

 今になって考えると、私の判断は典型的な部分最適だった。

 製造部門だけを見れば、返品処理を翌月へ回すことで目標を達成できる。

 現場の雰囲気も良くなるかもしれない。

 しかし、会社全体から見ればどうだろうか。

 返品という事実は消えない。ただ翌月へ先送りしただけである。今月の数字は良く見える。しかし、実態は変わらない。

 もしそれを許せば、来月も同じことが起きる。再来月も起きる。

 やがて組織は問題を解決するのではなく、数字を操作する方向へ向かってしまう。

 経営者が恐れるべきなのは、一度の返品ではない。事実を事実として見なくなる組織風土なのだ。

 稲盛さんが怒ったのは、返品処理そのものではなかった。

「数字を守るために事実を曲げてもよい」という発想の芽を見逃さなかったのである。

悪意ではなく
善意が「組織を壊す」

 その後、私は京セラで経営管理本部長、専務、副会長として数多くの現場を稲盛さんと共に見てきた。

 その経験から強く感じることがある。

 組織を壊すのは、必ずしも悪意ではないということだ。

 むしろ危険なのは善意である。

「会社のため」

「部門のため」

「仲間のため」

 こうした大義名分は非常に強い。

 だからこそ、人は自分の判断を疑わなくなる。

 数字をごまかす。問題を隠す。報告を先送りする。

 その多くは最初から不正をしようとして始まるわけではない。

「今回だけは」「少しだけなら」という善意から始まるのである。

 私自身がまさにそうだった。

 現場を助けたい。皆の努力を無駄にしたくない。

 その気持ちは本物だった。

 しかし、経営に必要なのは感情だけではない。

 事実と向き合う勇気だ。