1989年のバブル絶頂期に三菱地所がニューヨーク、ロックフェラーセンターを買収した際に「今年はクリスマスツリーではなく日本の門松が飾られることになる」という皮肉な絵がニューズウイーク誌の表紙を飾ったりして、米国民の反感を買っていました。しかし冷静な米国の投資家たちはそんなことにはお構いなしでした。総額2000億円とも言われた買い物でしたが、その後マンハッタンの不動産市況は急速に悪化し、1995年、三菱地所は1000億円以上の損失を出して撤退しました。
昨今の中国資本による日本の不動産買いもこれと同じかもしれませんし、そうではないかもしれません。「カネで買えないものはない」と外国人富豪が東京のタワマンを法外な値段で買い占めたとしたら、法外な儲けを得た売り手が当然いるでしょう。売り手がその儲けを価値のある活動に再投資するなら、社会をより活性化させ豊かにします。
お金を尺度にすることで
フェアな競争のベースに
「金は天下の回りもの」とはよく言ったもので、溜め込むだけが能じゃない、やみくもに使えばいいというものでもない、その使い方の巧拙が人を評価する尺度になります。その評価尺度がしっかりしている社会は豊かになり、そうでない社会は貧しくなる、それだけのことです。
その意味で問題にすべきことは、日本人が安く売ったり高く買ったりする側にいつもいて、海外勢が安く買って高く売る側に立つことにより、日本の富が海外に流出してしまうことではないでしょうか。
「金で買えないものはない」は金持ちのセリフです。たぶん、欲しいものを手に入れるために普通の人より高い値段をより簡単に支払うでしょう。バーゲンセールまで待ったりはしないのです。
しかし、金持ちが、「あなたのことは好きではないので売りたくない」と言う人から無理矢理なにかを手に入れるためには、法外な金額を提示しなければなりません。肝心なのは、金で買えないものがあるかないかではなく、価値のないものにおバカな値段をつけて買ってはいないか、です。ものの値段をわからずに買い物をすれば、最終的にその人が損をするだけです。
お金を全ての尺度にすることによって不合理さが数値で表現され、フェアな競争のベースができるようになります。差別のある世界は、それがない世界より無駄が多くなったり理不尽なことがまかり通ったりします。
ものに値段をつけて売り買いの実態を明らかにすることによって、その不合理な現実が他人の目にもはっきり見えるようになる、不当なことがやりにくくなる、その効果が重要なのです。時間がたつにつれ、差別のない社会のほうがより活力ある魅力的な社会を生み出す、それは経済成長率とか国内総生産(GDP)のような金額と数字で客観的に比べられるようになる、それがフェアなやりかたでしょう。
![『会社の値段[新版]』書影](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/6/2/-/img_62946c3da5dd30b971923761dadc10f960328.jpg)







