左から2本分がマジックインキの初代モデル。現在は3代目(一番右)左から2本分がマジックインキの初代モデル。現在は3代目(一番右) Photo by M.F.

 そんなマジックインキが売れる転機となったのは、いくつかの偶然だった。

 一つは、選挙速報のテレビ中継である。当選確実を示す「当確」をフリップボードに素早く書き込む映像がお茶の間に流れ込んだ。ペンのキャップを取るだけで文字が書けて、すぐにインクも乾く。当時の視聴者にとってそれは“魔法”に見えた。

 もう一つは、漫画家・長崎抜天さんが1955年に東京・日比谷公会堂で行ったイベントだ。インクを補充することなく、世界各国首脳の似顔絵を延々とマジックインキで描き続けた様子が新聞などで取り上げられた。「インクを補充せず、なぜずっと描き続けられるのか」という驚きが、人々の記憶にマジックインキという名前を刻み込んだ。

 そうした追い風もあり、発売から2年ほどたつと確かな需要が根付き始めた。その後、人気がうなぎのぼりになると、「営業担当者がコーヒーを飲んでいるそばで電話がじゃんじゃん鳴り続けた」と語り継がれるほど注文が殺到したという。

 個人向け販売と並行して、産業用のニーズも急拡大していった。1960年代の高度経済成長期に起きた“梱包革命”がその一因だ。

 それまで主流だった木箱による梱包から段ボール箱への移行が進む中で、木箱に焼印を押す作業に代わり、マジックインキで段ボールに直接マーキングする方法が普及した。「段ボールに何でもさっと書けて、水に濡れても消えない」という商品の特性が、日本の物流現場を大きく変えたのである。

寺西化学工業の今井孝史取締役(右)と、企画部の杉田玲子氏寺西化学工業の今井孝史取締役(右)と、企画部の杉田玲子氏 Photo by M.F.

 さらに、学校教育への浸透も大きかった。例えば、図工の時間に木材や石に絵を描くなど、子どもたちが当たり前のようにマジックインキを使用していた。販売のピークは1970~80年代で、年間で数千万本の規模に達したとされる。