コアな表現を突き詰めると
ひとりよがりになってしまう
落合陽一(以下、落合):私は現代アートもやっています。あの世界は大衆的なわかりやすさをよしとせず、批評性や歴史性などに重きを置く傾向にあります。自分のおもしろさを純粋に追求できる環境があるとは言えるでしょう。
ただしそればかりだと、ひとりよがりになり過ぎるきらいもある。すこしは大衆性というか、わかりやすさに配慮しなければ、だれにもわかってもらえない事態に陥ります。そのあたりはバランスの問題でしょうね。
一方で私は、音楽活動の一環としてコンサートを開くこともあります。その場合は、2000席規模のコンサートホールの席を埋めなければいけないという使命を帯びることとなります。それなりの値段でチケットを買ってもらい、2000席を埋めるとなると、自分のおもしろさだけを追求して突っ走るわけにもいかなくなります。わかりやすいところもちょっとは混ぜていかないと、ホールを満席にすることはできません。
ここでもバランスが大切です。コアな表現をたくさんの人に届けたいと思いますし、そのためには観客との共通言語みたいなものをつくっていく努力をしないと、何も伝わらずにひとりよがりになってしまう。いいものをつくることと、広く伝えること、どちらもフルパワーでやらなければいけないということです。
孤独な作業の結果は
社会に届いてこそ価値を生む
田中:自分だけにとっておもしろいことをやり続けていると、結局、他人には理解されずに終わり、それはなかったことと見なされるのでしょう。
バルザックの『知られざる傑作』(注1)という小説では、老芸術家フレンホーフェル画伯が「美しき諍い女」なる絵画作品に、もう10年も手を入れ続けています。ある若者が、恋人をモデルとして差し出す見返りに、その絵を見せてもらうこととなる。いざ目をやると、画面の大半は無数の色と線がのたくっているだけだった。画伯自身もそれに気づき、自分が何ひとつつくり出せなかったことを知り落胆します。翌日若者が再び訪ねると、老人は絵を焼き捨てて、前夜のうちに死んでしまったことを知る……という話です。
(注1)オノレ・ド・バルザック『知られざる傑作』。1831年発表。完璧な芸術の不可能性を問う短編小説。







