田中:絵を真っ黒に塗りつぶしてしまうほどに理想を求めてまっしぐらになれるのは、本来すばらしいことでしょう。その過程ではきっと画伯も夢中になって時を過ごしたに違いありません。ただこの老画伯が、画面を真っ黒にしてしまう前に、もうすこし観る側のほうへ絵を開いていったらよかったのかもしれません。

 孤独になるほどの情熱を持ちながらも、社会との接点を忘れない。その微妙なバランスをとってこそ、表現活動は成立するものなのかもしれません。

 何かをつくるというのは、すくなくとも私にとっては最終的にひとりでやることです。すぐ近くに人がいると、ひとりで立ち続けている決意が鈍りそうで怖い。防衛本能として、過剰に組織や地域や家族に対して、反発してきたところはあります。

 小説を書く行為はひとりでやるものだと、私はいつも思ってきました。何かに対する反発がないと、小説なんて好きこのんで書きません。健全な市民生活への違和感こそが、小説の筆を進める原動力のひとつです。

 落合:反発こそが原動力、ですか。私の場合は「見たことのないものを見たい」というのが、直接的なものづくりの原動力になることが多いです。それはつまり、世の中の既存のものに飽きているということであって、その状態への反発なのかもしれません。退屈への反逆です。

新しいもののヒントは
過去から見つけ出す

田中:昔の作家は政治的な主義主張があり、それに基づく何かへの反対・反発をしていました。ひるがえって自分は何に反発しているのか。大義のような立派なものに反発しているのかといえば、そういうわけではなさそうです。

 ちなみに私は、見たことがないものをつくろうと思ったりはしません。たとえば川端康成みたいな文章を書きたいとか、トルストイのやったことを現代に置き換えたらどうなるかなど、古典のほうに目が向いてしまいます。

 古典を味わったうえで、じゃあ自分は現代において、これらを踏まえどんな作品が書けるだろうかと考えていく。もちろん古典に匹敵するものがスラスラ書けるわけもなく、ジタバタしながら何とか新しいものをひねり出そうとしています。